マイアミの奇跡から一転。錦織圭はなぜ「棄権」を決断できたのか? (3ページ目)

  • 内田暁●文 text by Uchida Akatsuki photo by AFLO

 そのフェデラー戦の翌日、痛みはさらに増し、満足に動くことはできなかった。準決勝当日の練習コートには立ったものの、やはり痛みは依然残り、左右に走れる状態ではない。

「コートに立つことは、できたかもしれない」。棄権を決意した後の会見で、錦織は言い、さらにこう続けた。「でも、戦うことはできなかったと思う」。

 今の錦織にとって、単に試合をすることと、戦うことはまったく異なる意味を持つ。つまり、「戦う」とは、「勝利を奪いに行くこと」である。

「良い試合がずっとできていただけに、準決勝で戦えないのは、本当に残念。でも、今の状態では、ジョコビッチに勝つチャンスはないと思った」

 錦織は伏し目がちに無念な胸の内を絞り出したが、マスターズ1000の準決勝ですら、今の錦織にとっては、「立つだけでは意味のない場所」ということだ。さらに付け加えるなら、今あるケガさえ完治させれば、チャンスは再び巡ってくると確信できるからこその棄権という判断でもある。

「正直、痛いのは股関節だけだった。普段だったら、他にも痛みや身体の重みもあったと思うけれど、今回はそれがまったくなかった。身体は確実に強くなっているし、テニスも良い」

 表情や口調に悔しさはあっても、悲壮感がない理由は、この言葉に集約されているだろう。

 今回の錦織の棄権は、記録上では、「不戦敗」という黒星が記される。だが、考え方を変えれば、彼は試合で敗れることなく、このマイアミの大会を終えたのだ。

 次に必ずコートで勝利を掴み取るために、今はあえて、コートに背を向けたのだ。

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