【テニス】東レPPO30年の歴史を飾ってきた女王たちの素顔
秋のテニスシーズンが始まった。9月22日から開幕する東レ パン・パシフィック・テニス2013(東レPPO)は、1984年、アジア最大の国際女子公式戦としてスタートを切った。以来30年、さまざまなドラマを生み、華やかな歴史を刻んできた。30回目という記念すべき大会を前に、これまでの東レPPOを彩ってきた女王たちの素顔を振り返ってみたい。
マヌエラ・マレーバ可憐だった初代女王、マヌエラ・マレーバ(ブルガリア)
第1回大会には、当時女子テニスでアイドル的な人気を誇る選手がそろって出場した。コーデ・キルシュ、リサ・ボンダー、カーリン・バセット、そしてマレーバ姉妹だ。その中で初代チャンピオンに輝いたのが、典型的なベースライン・プレイヤーだった姉のマヌエラ・マレーバだった。
エバート2世とも呼ばれ、少し悲しそうな顔でプレイする憂いに満ちた雰囲気と可憐な容姿で、日本でも人気が高まった。第1回から第5回まで連続出場し、第2回大会でも優勝して連覇を達成。それ以外でも準優勝2回、ベスト4が1回と、東レPPOとの相性が抜群に良かった。そのため1994年の第11回では、同大会の発展に貢献した彼女の引退セレモニーが行なわれた。
17歳で初優勝。ステフィ・グラフ(ドイツ)の時代
1986年の第3回大会には、次代の女王候補として世界ランク3位だった17歳のグラフが初出場ながら第1シードで登場。決勝では連覇中のマヌエラ・マレーバをストレートで下して初優勝を飾った。全戦ストレート勝ちという圧倒的な強さ。さらにダブルスも制して2冠を達成した。はねるような軽快なフットワークと独特のフォームから放つフォアハンドの強打に、グラフ時代の到来を予感させた。
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