「日本ラグビーに捧げてきた」来日10年目に悲願の代表入り 30歳のオーストラリア人がエディージャパンを救う (2ページ目)
【コロナで夢を絶たれるも......】
グリーンは21歳の時に来日。豊田自動織機で3シーズンプレーし、2018年度にはニュージーランドのレジェンドSOダン・カーターを抑えてトップリーグ得点王にも輝いた。2020年にヤマハ発動機(現・静岡ブルーレヴズ)に移籍。気づけば、来日して計9年が経った。
日本に住み続けるグリーンが「桜のジャージー」を目指したのは、自然な流れだろう。
「日本のチームで長くコミットすることによって、日本との結びつきを強く感じるようになった。プロとしてのキャリアのほとんどを日本のラグビーに捧げてきたから、この国と日本ラグビーに深い愛着を感じています」
現在、外国籍選手が日本代表の資格を得るには、日本で5シーズンプレーすることが条件となる。ただし、改訂前の資格条件は「3年間居住」が必要で、当時のグリーンは2023年のワールドカップ出場を視野にそれを目指していた。
しかし2020年のコロナ禍によって条件をクリアすることが困難となり、日本代表入りを断念した経緯があった。
「そのような事情により、残念ながら(代表資格を得る)時間をリセットせざるを得ませんでした。しかし今、日本代表資格を得て、ここに来ることができて、本当に感謝しています」
グリーンはオーストラリア・ブリスベンの北部にあるサンシャインコースト出身。6歳からラグビーを始めたが、水泳、陸上、さらにクリケットもやっていたという。アスリートとしての資質が高いのだろう、ラグビーに専念するとオーストラリア高校代表にも選出された。
2015年、地元のスーパーラグビーチーム「レッズ」でデビュー。翌年もレッズでプレーしていると、そこで思わぬ出会いが訪れる。のちにヤマハ発動機でチームメイトとなる日本代表FB五郎丸歩がレッズに加入してきたのだ。
五郎丸から日本のラグビーについて、若きグリーンはいろんな話を聞いたという。そして彼のアドバイスもあり、豊田自動織機でのプレーを決めた。
「ゴロー(五郎丸)は私が20歳でまだ若かった頃、すばらしいメンターでした。南アフリカ遠征でも同部屋になりましたし、一緒にプレーできる機会を得られたことは本当に幸運でした。特にプレースキックは、彼と一緒にたくさん練習しました。彼の経験から多くのことを学び、吸収することができました」
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