ラグビー日本代表が誇るワールドクラスのNo.8 伊藤剛臣のスピードは間違いなく世界に通用していた (3ページ目)
【一度は引退を決断するも...】
神戸製鋼で伊藤は、入団1年目から存在感を放った。いきなり日本選手権で優勝を成し遂げ、V7達成に貢献。掲げていた目標のひとつを早くも達成した。
1995年1月には阪神大震災を経験し、グラウンドも大きな被害にあった。しかしそれらの逆境を跳ねのけ、1999年度、2000年度には全国社会人大会と日本選手権を連覇。トップリーグが開幕した2003年度もFWの中心選手として優勝し、No.8で「ベスト15」に選出された。
ただ、高い身体能力を誇っていた伊藤も、歳を重ねるごとに少しずつパフォーマンスが低下。2012年に戦力外通告を受けたことで、18年間在籍したチームを離れて引退を決断する。
ところが、伊藤と楕円球の物語は、この先まだ続くことになる。
「釜石は『鐵(てつ)』と『魚』と『ラグビー』の街です。ラグビーで釜石を一緒に盛り上げませんか?」
2003年ワールドカップのチームメイトで、サントリー(現・東京サントリーサンゴリアス)や三洋電機(現・埼玉パナソニックワイルドナイツ)を経て釜石シーウェイブスでプレーしていたFB吉田尚史に誘われた。
「初めてラグビーを知ったのが(V7時代の)新日鐵釜石だった。それで共感しちゃった」
伊藤はその誘いを受けて、釜石でラグビー続行を決断する。「体がどれだけ持つかわからないけど、一つひとつのプレーにこだわりたい」と言いつつ、釜石で合計6シーズン、46歳まで現役を続けた。
2018年、プレーで引っ張って若手の手本となり続けた伊藤は、惜しまれつつもラグビーキャリアに幕を下ろす。
かつて伊藤に「No.8やFLはどういうポジションですか?」と尋ねたことがある。
「どのポジションも、みんなそれぞれ楽しさがある。だけどNo.8やFLは、アタックでもディフェンスでもチームに勢いを与えることができる。そして最後は、気合いが大事かな(笑)」
豪快に笑って答えてくれた。
まさに伊藤の「8単」は、いつもチームに勢いを与えてくれた。
著者プロフィール
斉藤健仁 (さいとう・けんじ)
スポーツライター。 1975年4月27日生まれ、千葉県柏市育ち。2000年からラグビーとサッカーを中心に取材・執筆。ラグビーW杯は2003年から5回連続取材中。主な著書に『ラグビー『観戦力』が高まる』『世界のサッカーエンブレム完全解読ブック』など多数。
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