ラグビー日本代表「リーチの後継者候補」 ニュージーランド出身で日本語がペラペラの24歳は何者? (2ページ目)

  • 斉藤健仁●取材・文 text by Saito Kenji

【亡き父に背中を押されて日本行きを決意】

 コストリーの愛称は「タマ」。ニュージーランドの原住民・マオリ族の言語で「男の子」を意味する。ティエナンと発音しづらいため、周囲がつけたあだ名だという。

「日本では猫の名前ですが(苦笑)、言いやすいので気に入っています」

 高校卒業後、兄が進学していたカンタベリー大学で勉強しながらラグビーを続けるために、カンタベリーアカデミーに入ることを望んでいた。しかしそれは叶わず、進路に悩んでいる時、高校のコーチからIPU・環太平洋大学への留学を打診された。

 海外に行く選択は、当初コストリーの頭になかった。

「その時は日本語ができなかったので。ただ、インターネットで中国地区大学リーグを見ると(IPU・環太平洋大が)すごい点差で勝っていたので、強いチームと思っていました」

 ただ、父のスティーブンがALS(筋萎縮性側索硬化症)に罹患しており、来日するかどうか本当に悩んだという。しかし、父に「自分のせいでやりたいことや夢を掴むことができなかったらすごく申し訳ないので、日本に行ってほしい」と言われて、覚悟を決めた。父は来日1年目、帰らぬ人となった。

「お父さんは天国から見てくれている。すごく彼のことを感じます。代表初キャップなど大切な時、よくお父さんのことを考えます。生きていたらすごく喜んでくれたと思います」

 コストリーが来日した2019年当時、IPU・環太平洋大は大学選手権に出場できるレベルではなく、明治大などでヘッドコーチを務めた小村淳監督が就任し、強化を始めたばかりだった。

 コストリーは当時をこう振り返る。

「初めて日本に来た時は、みんな真面目で強いなと思った。だけど、天理大学と試合をして大差で負けて、どういう立場にいるか理解しました。

 小村監督は(ライバルの)朝日大学に勝って大学選手権に出るため、私を日本に呼んだ。1年生の時は(朝日大相手に)5-55でしたが、翌年は10-29、その次は7-14とちょっとずつ近づき、4年生の最後に30-28で勝って(大学選手権に初めて出場できて)本当によかった」

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