女子ラグビー:桑井亜乃×中村知春 レフェリー・選手の異なる立場でパリオリンピックに出場した親友ふたりがスタジアム内で感動の対面を果たす (3ページ目)

  • 斉藤健仁●取材・文 text by Saito Kenji

選手とレフェリーでオリンピック出場を果たした桑井亜乃 photo by Noto Sunao(a presto)選手とレフェリーでオリンピック出場を果たした桑井亜乃 photo by Noto Sunao(a presto)この記事に関連する写真を見る

【ともにテレビ観戦した東京大会】

――中村選手にお聞きします。東京オリンピックに出られなかったことは悔しさはあったと思いますが、プラスに影響した部分はありましたか。

中村 (東京大会までの5年間)ずっと一緒に練習をしてきて、直前で落選するという経験をした時に、本当に応援してくださる方々の声を感じられて、その思いを背負って戦える自分に幸せを感じました。これだけ応援してくれる、味方になってくださる方がいるというのは自分の財産にもなりました。

 スポーツ選手である以上、勝つことに責任を持たなきゃいけないですが、パリオリンピックでもみなさんが目に見えないところで絶対に応援してくれるという思いを感じながら、戦えました。そういう意味でも東京オリンピックは全然ネガティブなものにはならなかったです。

桑井 東京オリンピックの試合は、中村と(リオ大会に一緒に出場した谷口)令子の三人で、テレビで見ていたので、非常によく覚えています。中村が東京オリンピックに賭けていた思いも知っていたし、サクラセブンズを引っ張ってくれていたのもわかっていたので、「あのしっかり者の中村がここまでなっちゃうのか」というくらい見ているのがめちゃめちゃ辛かったです。

 東京オリンピックのあと、少しチームから離れるのかなと思っていたら、コーチ兼任で選手としてサクラセブンズに関わると聞いた時は、「本当に!」と思いましたし、パリオリンピックに絶対行ってほしいなと思っていました。

――桑井レフェリーにお聞きします。選手としてオリンピックを経験したことは、やはりレフェリーになってもプラスに働きましたか。

桑井 選手の時の経験がなかったら、おそらくレフェリーとしてオリンピックまで来られていなかったです。オリンピックはやっぱり特別な存在というのを選手時代にわかっていたからこそ、思い入れは強かったです。選手の時に経験したものがあるからこそ、レフェリーとして通用していたところはあります。

――「強く美しく」をテーマにされていましたが、それを実践できましたか。

桑井 できたと思っています!

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