日本で才能を開花させた25歳のトライ王。ディラン・ライリーはW杯で「復讐」を成し遂げる (2ページ目)

  • 斉藤健仁●取材・文・撮影 text & photo by Saito Kenji

【運命を変えた名将との出会い】

 ライリーはなぜ、オーストラリア代表「ワラビーズ」のグリーン&ゴールドではなく、日本代表の"桜のジャージー"に袖を通すようになったのか。

 1997年、ライリーは南アフリカのダーバンで生まれた。その後、10歳の時に家族でオーストラリアに移住してオーストラリア国籍を取得。クリケットや水泳など多彩なスポーツに興味を示すなか、11歳からラグビーもプレーするようになった。その頃から「プロラグビー選手になることを考えていた」という。

 その後、U20オーストラリア代表に選出にされるなどユース年代で活躍するも、プロクラブから声はかからずボンド大学に進学。卒業後はブリスベンシティでプレーするが、トップカテゴリーであるスーパーラグビーチームと契約することは叶わなかった。

 そんな時、転機が訪れる。

 2018年の2月、ブリスベンで10人制の国際大会が開かれて日本からワイルドナイツが参加したのだが、その大会でケガを負った日本代表WTB(ウィング)福岡堅樹に替わってメンバー入りしたのが、当時まだ練習生だったライリーだった。

 彼のプレーを見て、ワイルドナイツを率いていた名将ロビー・ディーンズはライリーのポテンシャルに気づき、プロ契約にいたったというわけだ。

「オーストラリアのプロチームからオファーを受けたことはありませんでした。だから、ワイルドナイツから誘われて日本でプレーする機会をもらい、本当に感謝しています」

 ワイルドナイツには世界的な選手や日本代表選手も多く在籍している。コーチングスタッフも充実している環境のなか、ライリーは雌伏の時を待った。

 2019-20シーズンはケガの影響もあって試合に出られなかったが、コロナ禍で中断された2020年シーズンは「ワイルドナイツの13番」として大きなブレイクを果たす。トップリーグのラストシーズンでは11試合すべてに先発出場。プレーオフ決勝戦での1トライを含む7トライを記録し、自身初の「ベスト15」にも選ばれた。

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