日本戦の悪夢から4年。南アフリカを蘇らせた指揮官と黒人主将の絆 (2ページ目)

  • 斉藤健仁●取材・文 text by Saito Kenji
  • 齋藤龍太郎●撮影 photo by Saito Ryutaro

 この2トライでイングランド代表の勢いを完全に折り、最後は32-12でノーサイド。1995年、2007年に続き、南アフリカ代表が3大会ぶり3度目の栄冠に輝いた。

 試合後、キャプテンの重責を背負って戦い抜いたFL(フランカー)シヤ・コリシは「何と表現すればいいかわからない」と喜びを露わにし、優勝指揮官となったラシー・エラスムスHCも「母国に帰るのが待ち切れない」と笑顔を見せた。

 一方、ジョーンズHCは南アフリカ代表の強さに脱帽した。

「残念なことに試合に入れなかった。スクラムで困難に直面した。後半は盛り返したが、それでも相手が強すぎた。今日は南アフリカが勝者にふさわしい」

 南アフリカ代表は前回大会、予選プールで日本代表に敗れたものの、決勝トーナメントを勝ち進んで3位となった。だがその後、黒人初の指揮官となったアリスター・クッツェーHC(現・キヤノンHC)が率いた時代(2016年、2017年)は低迷した。イタリア代表やアルゼンチン代表に白星を献上し、ニュージーランド代表には0-57の大敗。勝率は4割を切っていた。

 そんな状況のなか、2018年3月に白羽の矢が立ったのが、元代表キャプテンのエラスムス氏だった。南アフリカの人口の9割が非白人で、チームの非白人選手の割合を50%超にすることを目標としたエラスムスHCは、黒人のコリシをキャプテンに任命した。

 コリシはラグビー選手として優秀だが、同時に人格者でもあった。

 アパルトヘイトが撤廃される前の1991年、コリシはテレビもない貧しい家庭に生まれ、食事もまともに食べることができなかったと言う。しかし、ラグビーによって人生が変わった。12歳の時に出場した大会で活躍して奨学金をもらえるようになり、進学したことで食事も十分に取れるようになった。

 コリシを18歳の時から指導し、20歳でスーパーラグビーにデビューさせたのがエラスムスHCだ。師弟関係にあるふたりの絆は、固くて深い。

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