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【ラグビー】38歳、謙虚な鉄人。大野均は灰になっても走り続ける (2ページ目)

  • 松瀬 学●文 text by Matsuse Manabu  齋藤龍太郎●写真 photo by Saito Ryutaro

 その中でも復帰したウイング山田章仁は2トライと気を吐いた。大野も体を張った。「もちろん、勝つ自信があったし、勝つ準備もしてきたんですけど」と顔をゆがめた。あごから汗が滴り落ちる。

「それ(準備してきたこと)をさせないのが、スーパーラグビーの難しさだなと思いました。自分たちのミスでボールを渡してしまって、相手にやりたいラグビーをやらせてしまいました。ラインアウトは前半、(ラインの)後ろで捕ることにこだわりすぎて、うまくいきませんでした」

 そうはいっても、大野はよく走った。前に出た。ディフェンスの際、ただひとり、出足鋭く、ラインスピードを上げていた。

 後半18分。トゥシ・ピシのトライのときは、大野がラインアウトを好捕してモールの芯となり、その後の6つのラックのうち、4つのそれに絡んだ。倒れてもすぐ、立ち上がる。相手をはじき飛ばし、壁をつくった。この運動量、この忠実な走り。

 後半28分。交代で途中退場する際、1万6885人の観衆から、健闘をねぎらう温かい拍手が送られた。この日、一番大きな拍手だった。「できれば1分でも長く、グラウンドにいたかったですね」と大野が述懐する。

「でも、チームの判断なので、しょうがないです。(ノーサイドのときは)もっとできたなという感じでした。向こうにやらなくてもいいトライがあったし、こちらがとるべきところでトライがとれなかった。そういう意味では、すごく悔しかったですね」

 大野の最大の長所は、「初心」と「向上心」を失わないことだろう。福島県立清陵情報高校では野球部に所属していた。楕円球に親しむようになったのは、日本大学工学部の弱小ラグビー部に入ってからだった。ひょんなことから東芝に入社することになり、猛練習に耐え抜いて、2004年に日本代表入りした。

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