「アジア人なんかに負けるか」ラクロスの元日本代表・山田幸代が語る競技人生 オーストラリアのトライアウトでは「パスがもらえなくなったりもしました」 (3ページ目)

  • 永塚和志●取材・文 text by Nagatsuka Kaz

【「本当の世界」を知るために豪州へ】

2017年ラクロス世界選手権では豪州代表としてプレーした山田さん(右) 写真/本人提供2017年ラクロス世界選手権では豪州代表としてプレーした山田さん(右) 写真/本人提供この記事に関連する写真を見る――山田さんは日本代表を経て、2008年にはプロとしてオーストラリアリーグでプレーを始め、その後同国代表としてワールドカップにも出場(4位)、ワールドゲームズ(オリンピックに参加していない競技・種目の総合競技大会)では銅メダルも獲得されていますが、こうした経緯に至ったきっかけはどのようなものだったのでしょうか?

「私はずっと保母さんになることを夢として持ちながら行動ができていなかったのですが、子どもたちと話した時に、大きくなったら何になりたいかを聞いたら野球選手やJリーガーになりたいと言う子はいても、ラクロス選手になりたいと言ってくれる子はいませんでした。

 ですので、ラクロス選手になりたいという子どもを増やしたい思いがあって、日本で子どもたちに見てもらうためには日本のラクロスを強くしなければならない。そのためには誰かが世界のトップ・オブ・トップを見て、それを伝えないと実現しないんじゃないかと思ったのがきっかけです。

 そういう思いをいつも語っていた時に『じゃあ選手として契約をしてあげるから何かチャレンジをしたらどうか』と言ってくださる企業さんと出会い、選手契約をしてラクロスだけで生活ができる環境をいただいたのです。

 そして、その頃世界で一番強かったのがオーストラリアだったこともあり、そこでプレーをすることになったのです。ただ、日本はアメリカやカナダといった世界のトップのチームと練習試合では良い戦いができるのに世界大会では雲泥の差で負けてしまう。向こうの目の色を変えさせないと本当の意味でのトップ・オブ・トップはわからないと感じたのです。

 それで、ラクロスには人生で1度だけ(国の代表を)移籍ができるというルールがあったので、オーストラリアの選手になって、世界のトップ・オブ・トップの人たちが本気で戦うなかに入ってみようと。その経験を、指導者など伝える役として帰って来ることを目標にして、オーストラリアの代表選手になったのです」

――オーストラリアでのプレーも簡単ではなかったと思います。どのような壁がありましたか?

「ひとつにはやっぱり言葉の壁ですね。英語は全くの『ゼロ』で行ったのですが、何とかなるかなと思いながら、実際は何ともならなかったです。

 初めてオーストラリア代表入りに挑戦した時、私、落とされているんですね。その時に伝えられたのが『サチは同じポジションのオーストラリア人よりもレベルは高かった。だけど君には言葉の壁がある』と言われたんです。

 あとは、ラクロスをプレーするなかで本当の勝負となると『アジア人なんかに負けるか』みたいな感じて落としにかかってくる。最初は『頑張れ、頑張れ』という目で見てくれていたのが、実力が近づいてくるとパスがもらえなくなったりもしました。

 代表チームのトライアウトには毎回300人くらいが集まり、そのなかで最後は18人まで絞られる厳しい競争ではありましたが、落ちた選手全員に対して1週間以内にフィードバックがあるんです。自分に何が足りなかったのか、しっかり明確に伝えてくれる。チームがそれぞれの選手に対して求めているものがはっきりするので、落ちた側も納得できるし、次の挑戦に向けての課題も明確になる。その点は非常に感謝していますし、選手が成長していく上では大切なことだと感じました」

後編に続く

【Profile】山田幸代(やまだ・さちよ)/1982年、滋賀県生まれ。中学からバスケットボールを始め長浜北星高では3年連続でウィンターカップに出場。京都産業大入学後にラクロスを始める。2007年には日本人初のプロ選手となり、2008年からはオーストラリアリーグでプレー。2017年のワールドカップ(世界選手権)とワールドゲームズにオーストラリア代表として出場している。世界ラクロス協会の理事やルール委員会サブコミッティチェアマンも務め、オリンピックで採用された6人制(シクシーズ)のルール策定にも携わった。株式会社Little Sunflower代表取締役社長。

プロフィール

  • 永塚和志

    永塚和志 (ながつか・かずし)

    スポーツライター。前英字紙ジャパンタイムズスポーツ記者。Bリーグ、男女日本代表を主にカバーし、2006年世界選手権、2019W杯等国際大会、また米NCAAトーナメントも取材。他競技ではWBCやNFLスーパーボウル等の国際大会の取材経験もある。著書に「''近代フットボールの父'' チャック・ミルズが紡いだ糸」(ベースボール・マガジン社)があり、東京五輪で日本女子バスケ代表を銀メダルに導いたトム・ホーバスHC著「ウイニングメンタリティー コーチングとは信じること」、川崎ブレイブサンダース・篠山竜青選手 著「日々、努力。」(ともにベースボール・マガジン社)等の取材構成にも関わっている。

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