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水谷隼はもう独りじゃない。
Tリーグがもたらしたと進化と不変の志 (3ページ目)

  • 城島充●文 text by Jojima Mitsuru
  • 藤田真郷●写真 photo by Fujita Masato

 水谷隼というアスリートが、天才の定義に新たな要素――変化を恐れないこと――を自らの手で書き加えたのは、2012年ロンドン五輪のシングルス4回戦で敗退し、全日本男子シングルスの覇権も失って"どん底"の状態を味わった後である。「このままで終われば卓球に人生を賭けた意味がない」と、一念発起してロシアリーグに挑戦。フィジカルを鍛え直すとともに、邱建新監督とプライベートコーチの契約を結び、チキータなど台上のプレーを徹底的に磨いたのだ。

 ファイナルのイ・サンス戦でも、プレースタイルの変化は明らかだった。

「昔と比べれば、自分のスタイルは変わってきています。まだまだ修正しなければいけないところもありますが、取り組んできたことが間違っていなかったことは証明できていると思います。Tリーグでの半年間に積み上げた、ひとつひとつの試合が僕を成長させてくれた。この流れを4月の世界選手権(ハンガリー)につなげたいです」

 Tリーグでの成果をそう語った水谷がこの日、最も変化を強調したのが卓球と向き合う環境だった。
 
チームメイトの存在と、胸の底にある変わらぬ思い

 試合後の会見で「"個人"の木下vs"チーム力"の岡山」という構図を口にした記者もいたが、水谷の言葉に耳を傾けると、そのニュアンスは少し異なってくる。

「10年間ずっとひとりでやってきた。今はチームメイトにいろんな形で助けられ、気持ちの面ですごく楽になりました」

 筆者の記憶に残る水谷の背中には、いつも孤高の影がまとわりついていた。言葉の壁やカルチャーショックと向き合いながらプレーを続けたドイツ留学時代、全日本男子シングルスを連覇し、絶対王者の重圧に苦しんだころ。そして、海外の選手がルール違反とされる補助剤をラバーに塗り込んでいることを告発し、国際大会をボイコットした時......。

 誤解を恐れずに言えば、こうした孤独感を抱えてきたからこそ、彼は唯一無二の卓球人として歴史に名を刻むことができるのだ、とも考えていた。この推測がそれほど的外れでなかったならば、新しい価値観で卓球と向き合うようになったからこそ、今後の彼はこれまでと違うパフォーマンスや結果を生み出していくはずである。

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