【男子バスケ】Bリーグベテラン代理人が語る業務内容と報酬、富樫勇樹との出会い (4ページ目)
【富樫勇樹との出会い】
そうした経験を積みながら、日本人選手との関係を切り開いていく。大きな分岐点となったのは、2014年夏に富樫勇樹のNBAサマーリーグ挑戦をサポートしたことだった。
富樫はアメリカの高校を卒業後、bjリーグ・秋田ノーザンハピネッツでプレーしていたが、鴨志田氏は以前からその潜在能力を高く評価し、NBAに挑戦できる可能性を見出していた。そこで交流のあったNBAダラス・マーベリックスのアシスタントコーチに、富樫のトレーニングキャンプへの参加を目標に、同チームのスカウトが富樫の練習視察に来ることを取りつけた段階で、初めて富樫に話を持ちかけたという。鴨志田氏にとって、初めての日本人選手のクライアントとなった。
富樫はサマーリーグで4試合に出場。うち1試合で12得点をマークした活躍は古くからのバスケファンなら多くの人が知るところだが、マーベリックスは富樫のプレーを評価。Dリーグ(現在のGリーグのようなマイナーリーグ)でのプレーを前提に、チームが保有権を確保するためにNBA契約を結ぶ運びとなった。
「今でいう2Way契約のような意味合いのある本契約で、その契約を締結するタイミングで私自身がNBAのエージェント・ライセンスを取得しました。もっとも当時のNBAライセンスは紹介制で、NBAで働いている人や代理人など知り合いの了承を得られれば取得できました。
自分はNBA公認エージェント・ライセンスを取得した初めての日本人です。ただ、その時以来、NBAチームを相手にした交渉案件はありませんけど(笑)」
Dリーグで1シーズンを過ごしたのち、富樫は2015-16シーズンに千葉ジェッツと契約。その3年後には日本人初の1億円プレーヤーにまで上り詰める。この背景には、鴨志田氏が富樫獲得に意欲的だった当時のジェッツ社長・島田慎二氏(現Bリーグチェアマン)との関係を深めていた縁が、大きかった。
「僕自身は日本のバスケットボール界がよりよい方向で発展していけるよう貢献できればという思いで、仕事をしています」
そうした鴨志田氏の思いは、富樫の活躍によって一つの形として実現したのである。
つづく
著者プロフィール
牧野 豊 (まきの・ゆたか)
1970年、東京・神田生まれ。上智大卒業後、ベースボール・マガジン社に入社。複数の専門誌に携わった後、「Jr.バスケットボール・マガジン」「スイミング・マガジン」「陸上競技マガジン」等5誌の編集長を歴任。NFLスーパーボウル、NBAファイナル、アジア大会、各競技の世界選手権のほか、2012年ロンドン、21年東京と夏季五輪2大会を現地取材。22年9月に退社し、現在はフリーランスのスポーツ専門編集者&ライターとして活動中。
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