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【男子バスケ】Bリーグベテラン代理人が語る業務内容と報酬、富樫勇樹との出会い (3ページ目)

  • 牧野 豊●取材・文 text by Makino Yutaka

【代理人になるきっかけ】

 中学時代にバスケットボールに魅了された鴨志田氏は、もともと有料BS放送のNBA解説、専門メディアに寄稿するライターとしての活動を軸に、バスケットボールに関わる他の業務も請け負い、生計を立てていた。そのなかで、bjリーグの東京アパッチ(2005年〜2011年)の広報業務を委託されたことが、代理人になるきっかけだった。

「東京アパッチの初代ヘッドコーチはコービー・ブライアント(元NBAロサンゼルス・レイカーズのスーパースター)の父・ジョーが務めていたのですが、広報の業務以外にも彼からチームの運営について、アドバイスを受けたりしていました。また、当時はシーズンオフにプロのバスケットボール選手がトレーニングする場所が国内では乏しい状況だったため、アメリカに連れていったりしていたのですが、向こうに行くといい選手がたくさんいるじゃないですか。bjリーグはオン・ザ・コートフリー(同時出場できる外国籍選手の制限なし)でしたので、もっと日本のバスケットのレベルを上げるためにも、いい選手を連れてこられるんじゃないかと感じ、最初は外国籍選手を連れてくる仕事を始めました」

 当時、代理人は登録制ではなかったため、明確に身分が確立されているわけではなかった。そこで、鴨志田氏は自身の信頼を得るため、FIBAの本部があるスイスに足を運び、業務にまつわる基本知識を中心とした試験を受け、2009年にFIBAのエージェントライセンスを取得。NBA以外の世界各国で活動できる資格を得た。

「最初のほうは、海外にいるエージェントとパートナーシップを組み、向こうが契約している外国籍選手を日本のチームに営業する代理店のような形で活動していました。当時はまだスマートフォンやSNSもなかったので、チーム側から『選手の映像を見たい』と言われれば、プレー集を収めたDVDを国際便で送ってもらい、こちらでコピーしてチームに配っていました。

 今はスマホひとつ持っていれば済みますが、当時は選手の情報を得る手段(特に動画)が少なかったので、外国籍の契約候補選手をリスト化してそれぞれの映像をすぐに見られるようにするだけでも、国内チームからのニーズがありました」

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