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NBA伝説の名選手:ロバート・オーリー 勝つために自らを犠牲にしてジョーダン、コービーを上回る7度のNBA優勝を果たした「名脇役」 (2ページ目)

  • 秋山裕之●文 text by Akiyama Hiroyuki

【プレーオフ史に刻まれた数々のクラッチショット】

オーリーは2002年のプレーオフでは数々のクラッチショットを決めた photo by Getty Imagesオーリーは2002年のプレーオフでは数々のクラッチショットを決めた photo by Getty Images リーグ最高級のビッグマン(シャキール・オニール)と次世代のオールラウンダー(コービー)を擁したレイカーズは、2000年から2002年にかけて3連覇の偉業を成し遂げ、オーリーは両選手の補佐役を見事にこなした。

 2001年ファイナル第3戦で決勝弾となるコーナーからの3ポイントを、2002年カンファレンス1回戦の第3戦終盤には右コーナーからシリーズに決着(当時の1回戦は3戦先勝)をつける3ポイントを成功。

 そして極めつきは2002年のカンファレンス決勝第4戦。負ければサクラメント・キングス相手に1勝3敗の窮地へ陥るピンチを見事に救う、値千金の3ポイントをブザービーターで決めてみせた。

 試合終盤に2点を追っていたレイカーズは、コービーがドライブからフローターを狙うもブラデ・ディバッツに阻まれてミス。オフェンシブ・リバウンドを拾ったシャックのショットも外れ、ディバッツがトップ下へティップアウトしたことで万事休すかと思われたが、そこにいたオーリーが冷静沈着に3ポイントをきれいに放り込んで会場を大興奮へと誘った。

「自分のリズムでショットを放ったんだ。考えることもなかったね。時間内で打てなければ負けてしまう。でも私が時間内に打って決めたらどうなる? 最高じゃないか」

 劇的ショットを決められたディバッツは苛立ちから「あれはまぐれだ」と言い放ったが、オーリーはジョークを交えて「私はこれまでのキャリアでずっと決めてきた。彼は新聞でも読んだほうがいいんじゃないかな」と切り返していた。

 2003年夏にサンアントニオ・スパーズへ加入したオーリーは、MVPビッグマンのティム・ダンカンらと5シーズンをプレーし、2005年と2007年にも優勝。なかでも前年のNBA王者デトロイト・ピストンズとの2005年ファイナル、2勝2敗で迎えた第5戦では延長終盤に左ウイングから決勝弾となる長距離砲を炸裂させた。

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