河村勇輝が経験した「バスケットをやってきたなかでワーストゲーム」 Gリーグ終盤で生まれた葛藤とその真意
2ウェイ契約選手として多くの経験を積んできた河村 photo by Miyaji Yoko
前編:河村勇輝のGリーグ終盤戦ルポ
河村勇輝のアメリカ挑戦1年目も終盤を迎えている。NBAとその下部リーグ・Gリーグの両方でプレーする2ウェイ契約選手として多くの経験を積んできたが、シーズン終盤においても、河村が日本では経験し得ることのできなかった激動とも言える環境の変化に直面し、それに適応しようとしてきた。
まずはGリーグのレギュラーシーズン終盤に起こった環境の変化のなかで、河村自身がどのように適応しようと努力し、感じてきたのか。
【「戸惑いというか、難しさっていうのは感じています」】
Gリーグのレギュラーシーズン終盤、河村勇輝は「これまでバスケットをやってきたなかでワーストゲーム」を経験した。
3月25日のメンフィス・ハッスル対オースティン・スパーズ。河村は、いつものようにスターターとして27分余出場したが、3Pショットを4本すべて外して3得点に終わり、持ち味のアシストもわずか1本に終わっている。河村個人だけでなく、チームとしても、カンファレンス上位のスパーズを相手に冴えず、前半だけで30点差をつけられ、手も足も出ないままに完敗を喫した。すでにプレイオフは逃していたハッスルにとって、モチベーションを保つことも難しい試合だった。
河村自身が言い訳にすることはなかったが、彼がうまくリズムに乗れなかったのには理由があった。
3月上旬に、チームのスコアラーのマイルズ・ノリスがボストン・セルティックスと2ウェイ契約を交わして引き抜かれていった頃から、チーム内での河村の役割が変わってきていたのだ。それまでスターティング・ポイントガードとしてボールを持ち、チームをコントロールする役割を担うことが多かったが、ノリス移籍後はシューターとしての役割を求められることが増えた。3月半ばにメンフィス・グリズリーズから若手のGG・ジャクソンがハッスルに送られてくると、河村がボールを持つ機会はさらに減った。
その理由について、ハッスルのヘッドコーチ、TC・スワースキーは「その時々のラインナップやマッチアップによって誰がボールを持つかは変わってくる」と説明している。選手の入れ替えが多く、NBAチームの方針に従う必要があるGリーグではよくあることだ。
「これまでビーコル(Bリーグの横浜ビー・コルセアーズ)でやってきても、大学、高校も、また日本代表でも、自分が常にボールを持ちながらリズムを作れるっていう状況ではあったので、そういった意味で、戸惑いというか、難しさっていうのは感じています」と、河村は認めた。
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著者プロフィール
宮地陽子 (みやじ・ようこ)
スポーツライター。東京都出身。アメリカを拠点にNBA取材歴30年余。アメリカで活動する日本人選手やバスケットボール国際大会も取材。著書に『The Man〜 マイケル・ジョーダン・ストーリー完結編』(日本文化出版)、編書に田臥勇太著『Never Too Late 今からでも遅くない』(日本文化出版)、2023年1月発売の共著に『スラムダンク奨学生インタビュー その先の世界へ』(集英社)。