NBA伝説の名選手:レジー・ミラー プレーオフ史に生き続ける衝撃の「ミラータイム」の記憶 (2ページ目)
【歴史に刻まれたニックス戦でのパフォーマンス】
1990年からペイサーズがプレーオフの常連となると、勝負所で劇的なショットを決める選手へ飛躍し、"ミラータイム"という称号を冠せられるまでになった。なかでも1994年から2年連続で第7戦までもつれたニューヨーク・ニックスとのプレーオフ・シリーズは、輝かしいキャリアの中で最もインパクトがあるものだった。
「ゲームの勝負所になったとき、私は成功する。それが"ミラータイム"だ」
2勝2敗で迎えた1994年のカンファレンス決勝、敵地での第5戦、ミラーは39点中25点を第4クォーター(Q)に奪ってペイサーズを逆転勝利に導き、シリーズ王手をかけた。この時、マジソン・スクエア・ガーデンのコートサイド席からヤジを飛ばしていた映画監督のスパイク・リーに対して、首締めのジェスチャー(ニックスが試合終盤で崩壊するという意味)をしたことで、ニューヨークの公敵(パブリック・エナミー)になっていく。
最終的にはその後2連敗を喫してNBAファイナル進出を逃すことになるが、翌1995年のカンファレンス準決勝第1戦で、ミラーは驚異的な逆転劇を演出する。
試合時間残り18秒でペイサーズが6点ビハインドの状況から、それは始まった。タイムアウト後、ミラーは2秒間で3Pショットを成功させて3点差。その直後、ミラーはニックスのインバウンドパスをスティールし、3Pラインの後ろまでステップしてから3Pを決め、残り13秒で同点に追いつく。その次のプレーではニックスのジョン・スタークスがファウルをもらい、フリースローを放つが、2本とも失敗。そのリバウンドを奪ったミラーが残り7秒でファウルをもらい、そのフリースローを2本決め、勝ち越したのである。
「次のレベルにたどり着くためには、常にそのチームを倒す必要があった。ニューヨークは我々にとってそんなチームだった」と語ったミラー。試合の最終盤に9秒間で8得点という大逆転劇は、ペイサーズがニックスを撃破するうえで(シリーズは4勝3敗)大きな意味があった。
しかし、ミラーとペイサーズは、NBAチャンピオンシップとの縁に恵まれなかった。ニックスを倒した勢いそのままに臨んだカンファレンス決勝だったが、シャキール・オニール&アンファニー"ペニー"・ハーダウェイを擁したオーランド・マジックに3勝4敗で敗れ去った。
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