NBA伝説の名選手:ティム・ダンカン 堅実なプレーで「スパーズ王朝」の柱であり続けた史上最高のパワーフォワード
ルーキーイヤーから現役終盤まで、高いレベルのプレーを維持したダンカン photo by Getty Images
NBAレジェンズ連載15:ティム・ダンカン
プロバスケットボール最高峰のNBA史に名を刻んだ偉大な選手たち。その輝きは、時を超えても色褪せることはない。世界中の人々の記憶に残るケイジャーたちの軌跡を振り返る。
第15回は、5回の優勝、数々の個人賞の実績が物語るように、NBA史上最高のパワーフォワードと評されるティム・ダンカンを紹介する。
世界最高のプロバスケットボールリーグNBAには、フットボールや野球、サッカーなどの他競技を経てバスケットボールへのめり込んだ選手たちがいる。
今回紹介するティム・ダンカンは、14歳で水泳からバスケットボールへ転向した異色のキャリアを持つ異端児とも言える。 "シルバー&ブラック"が特徴のサンアントニオ・スパーズを代表する選手となった男がどんなキャリアを送ってきたのか。
【瞬く間にバスケットのトップ選手に】
1976年4月25日、父ウィリアムと母アイオンのもと、ダンカンはアメリカ領ヴァージン諸島で誕生した。「スイマーとして育った私は、水泳のことを自分で自分を追い込まなければいけない個人スポーツ(競技)として捉えていた」と幼少期を振り返ったダンカンは、毎日5000mから8000mも泳ぎ、13歳の頃には自由形の50m、100mでヴァージン諸島の記録を保持し、400mでもトップレベルに入る実力の持ち主だった。
サメに襲われる危険性があることを恐れていたダンカンだったが、思わぬ形で人生のターニングポイントを迎える。1989年にカリブ海を襲ったハリケーン"ヒューゴ"によって、島のスイミング施設が倒壊してしまったのだ。さらには14歳の時に乳がんで母が他界するなど不運が続いたダンカンは、心機一転、バスケットボールキャリアをスタートさせる。
ヴァージン諸島にあるセントダンスタン・エピスコパル高へ入学すると、4年次には平均25得点、12リバウンド、5ブロックを残し、ウェイクフォレスト大学へ進学。大学1年次終了後の1994年夏にFIBA世界選手権(現ワールドカップ)を控えていたドリームチーム2との練習試合でシャキール・オニール(元ロサンゼルス・レイカーズほか)を相手に奮戦。翌1995年夏にはアメリカ代表としてユニバーシアード福岡大会へ出場し、金メダルを獲得した。
大学4年次の1996-97シーズンには、平均20.8得点、14.7リバウンド、3.3ブロックを残して全米最優秀選手賞に選出。通算128試合の出場でチームを97勝31敗(勝率75.7%)へ導き、87試合でダブルダブルをマーク。211cm・113kgという堂々たる体格を持ち、即戦力としてNBAチームから熱視線を浴び、1997年のドラフト全体1位でスパーズから指名された。
1994-95シーズンのMVPセンターで、216cmのデイビッド・ロビンソンと"ツインタワー"を形成したダンカンは、1997-98シーズンに平均21.1得点、11.9リバウンド、2.5ブロックで新人王に輝いただけでなく、オールディフェンシブセカンドチーム、さらにはリーグベスト5に相当するオールNBAファーストチームにも選出される。
するとスパーズはロックアウトで82試合から50試合へ短縮となった1998-99シーズンに球団史上初のNBA制覇を達成し、ダンカンは2年目ながらファイナルMVPに選ばれた。
その後もスパーズはロビンソンの現役最後となった2002-03シーズンに2度目の優勝。2003年のファイナル最終戦で、ダンカンは21得点、20リバウンド、10アシストのトリプルダブルに8ブロックと、あわや"クァドラプルダブル"という獅子奮迅の活躍だった。
スパーズは2005、2007、2014年にもチャンピオンシップを獲得。その間にトニー・パーカーやマヌ・ジノビリが輝いたことも優勝できた要因のひとつではあるものの、このチームの根幹がダンカンだったことは間違いない。
「ダンカンなしに、複数回のチャンピオンシップ獲得はなかった」と語ったグレッグ・ポポビッチHC(ヘッドコーチ)は、大黒柱として絶大な働きを見せた男のリーダーシップも絶賛していた。
「彼は穏やかながら、日々の練習やシュートアラウンドでも競い合う手本を示した。マヌとトニーがいるなかでもね。非常に謙虚かつ静かなやり方で、自身を作り上げたんだ」
NBAキャリア19シーズンで、ダンカンは5度の優勝に加えてファイナルMVPを3度、シーズンMVPを2度受賞し、オールNBAチームには歴代2位タイの15度、オールディフェンシブチームに至っては歴代最多15度も選出されている。
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著者プロフィール
秋山裕之 (あきやま・ひろゆき)
フリーランスライター。東京都出身。NBA好きが高じて飲食業界から出版業界へ転職。その後バスケットボール雑誌の編集を経てフリーランスに転身し、現在は主にNBAのライターとして『バスケットボールキング』、『THE DIGEST』、『ダンクシュート』、『月刊バスケットボール』などへ寄稿している。