NBA伝説の名選手:コービー・ブライアント「ベストプレーヤーをストイックに追求し続けた究極のプロフェッショナル」 (2ページ目)
【確執と栄光のシャックとのレイカーズ時代】
するとコービーは大学へ進まず、1996年のNBAドラフトへアーリーエントリー。1巡目13位でシャーロット・ホーネッツから指名されたように、上位指名権を保持していた多くのチームが指名を見送ったのだが、当時レイカーズのジェネラルマネジャー(GM)を務めていたジェリー・ウェストは「彼は特別だった。ほかのチームが彼をドラフトしなかったことに驚いたね」とのちに明かし、先発センターのブラディ・ディバッツ(元サクラメント・キングスほか)とのトレードを断行し、コービーを獲得した。
コービーのルーキーシーズン(1996-97)は、1997年のオールスターでスラムダンクコンテスト優勝を飾るも、レイカーズでは平均15.5分、7.6得点にとどまった。さらにプレーオフ、ユタ・ジャズとのカンファレンス・セミファイナル第5戦では1勝3敗と後がない状況で迎えた終盤に5分間で4本のエアボール(リングに当たらずに外れるシュート)を放ち、シリーズ敗退の戦犯として扱いを受けた。
だが2年目の1997-98シーズン、シックスマン(試合途中でベンチから出場する役割の選手)となって平均得点を2ケタに乗せると、コービーは3年目でスターターの座を勝ち取り、スターダムを駆け上がっていく。当時、レイカーズは1996年夏に"シャック"ことシャキール・オニールというリーグ史上屈指の重量級ビッグマンを獲得し、"シャック&コービー"は互いにぶつかり合いながらも、リーグ最強のデュオと化していく。
名将フィル・ジャクソンHC(ヘッドコーチ)が就任した1999-2000シーズンから、レイカーズはNBA史上5チーム目の3連覇を達成。ファイナルMVPはペイントエリアを制圧したシャックが3年連続で選ばれたとはいえ、相棒コービーのオールラウンドな働きが不可欠だったことは間違いない。
楽観的なシャックとストイックなコービー。コート上では勝利を掴むべく共闘してきたが、両者の仲はずっと良好だったとは言えず、2004年夏にシャックがトレードでマイアミ・ヒートへ移籍してスーパーデュオは決別。スター同士のいざこざはたびたび"スターウォーズ"として報じられた。
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