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ドリームチーム誕生秘話。「奇跡の12人」が集結した、知られざる真実 (5ページ目)

  • 青木崇●取材・文 text by Aoki Takashi
  • photo by AFLO

 マジック、ギャビット会長、セルティックスのレッド・アワーバック社長の熱心な勧誘によって参加を決意したバードは依然、腰への不安を抱えていた。

 爆弾を抱えた腰が100パーセント治ることはない。それでも「金メダル獲得のために出る」と自分を鼓舞するバードは、医療スタッフとじっくり向き合い、献身的なケアを受け続けた。飛行機でバルセロナまで行くことすら困難と思えた腰は、次第に好転していき、ついに試合へ出られるまでの奇跡的な回復を遂げた。
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 そしてドリームチームとして迎えた、サンディエゴでのキャンプ。スーパースターが集結した夢の軍団は、ここで初めて3Pシュートに対するディフェンスに問題があることを知ることとなる。

 ドリームチームは、のちにNBA入りするペニー・ハーダウェイら8人の大学生で構成されたチームと連日、紅白戦を行なった。そこでポストプレーヤーにヘルプをしないという約束がなかなか守れず、その結果、20分間で10本の3Pシュートを許し、ドリームチームは54−62で敗れたのである。

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 この事態に、プレーヤーは当然のごとく立腹した。しかし指揮官デイリーは、チームにとってこれはプラスになると考えていた。

 NBAで長年、国際広報本部長を務め、ドリームチームに同行していたテリー・ライオンズは「あれで彼らの姿勢は明らかに変化した。バケーションという雰囲気が一気に消えた」と振り返る。

 目を覚ましたドリームチームは、翌日から激しい練習をこなし、練習でうまくいかないことが起こると、マジックはプレーを中断させて円陣を組んで指示するなど、リーダーシップを発揮していった。

 この日の練習を見たデイリーは、チームとして大きく前進したと実感。懸念されたエゴの衝突も起こることなく、ここに「真のドリームチーム」が誕生したのである。

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