ドリームチーム誕生秘話。「奇跡の12人」が集結した、知られざる真実

  • 青木崇●取材・文 text by Aoki Takashi
  • photo by AFLO

 柔道なら大野将平、ゴルフなら松山英樹、野球なら山田哲人......。彼らが東京オリンピックに出場することになれば、世界トップレベルのプレーで観客を沸かしてくれることだろう。彼らはみな、1992年生まれ。その年、スペインで開催されたバルセロナ・オリンピックには、絶対に不可能と言われたバスケ界のトップ・オブ・ザ・トップが集結した。その名は「ドリームチーム」。NBA界のスーパースターたちがどうやって心をひとつにしたのか、その真実に迫る。

NBA界の両雄マイケル・ジョーダン(左)とマジック・ジョンソンNBA界の両雄マイケル・ジョーダン(左)とマジック・ジョンソン 1988年のソウル・オリンピック、ひとつの時代が終焉を迎えた。

 準決勝でソビエト連邦に76−82で敗れ、1972年のミュンヘン大会をのぞき、常に金メダルを獲得してきたバスケットボール王国の崩壊----。アメリカは、プロ同然に近い世界の強豪相手に大学生で勝ち続ける時代ではないことを、あらためて思い知らされた。

 この時代の変化を敏感に察したFIBA(国際バスケットボール連盟)のボリスラフ・スタンコビッチ事務総長は「プロが国際試合に参加する時代が来た」と発表し、1989年4月、FIBA総会は圧倒的賛成多数でプロ参加を可決。NBAプレーヤーのオリンピック出場への道が開かれることとなる。

 しかし、アメリカはプロの参加に対して二分していた。とくに代表を管轄するUSAバスケットボールのメンバーであるNCAA(全米大学体育協会)は大きく反発。「オリンピックはアマチュアの頂点の大会であるべき」と主張し、マーケット大の元ヘッドコーチ、アル・マグワイア(2001年逝去)は「私が生きている間にNBAプレーヤーがオリンピックに出ることはあり得ない」という言葉まで吐いた。

 しかし一方、NBAのゼラルマネジャー(GM)たちは、金メダル奪回にプロの参加は欠かせないと確信していた。このままではアメリカがバスケ王国の座から陥落してしまう......。

 彼らは水面下でNBAプレーヤーにアンケート調査を取り、多くがオリンピック出場に前向きであることをマスコミに漏らし、ついに世間を巻き込んでNCAAの人間を説得することに成功する。そして1990年9月、USAバスケットボールのデイブ・ギャビット会長は「1992年バルセロナ大会ではバスケットボールの歴史上、最もパワフルなチームが誕生する」と高らかに宣言した。

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