世界の舞台で戦ったスラムダンク奨学生、鍵冨太雅が描くNCAA挑戦 (2ページ目)

  • 宮地陽子●取材・文 text by Miyaji Yoko
  • photo by FIBA basketball

 鍵冨は言う。

「(アメリカでの生活には)割とすんなり慣れました。普通の日本人がぶつかるような壁にも当たらず、けっこう大丈夫でした。日本との行き来も、ひとりでトロントの空港で乗り継いだり、シカゴ空港で乗り継いだりしなくてはいけなかったんですが、英語がわかるのでどうにかできました。アメリカに住んでいた経験がなかったり、英語がしゃべれなかったら大変だっただろうな、とは思います」

 日本代表としての活動も初めてではなかった。U19ヘッドコーチのトーステン・ロイブルとは、中学生のときにジュニアエリートアカデミーのビッグマンキャンプで教わって以来の間柄。その後、U16、U18でもロイブルコーチ率いるチームで活動している。それだけに、誰よりもコーチの考えを理解しているという自負もあった。

「中学3年のときからずっとビッグマンキャンプでトレセン(味の素ナショナルトレーニングセンター/東京)に通って、トーステンコーチから基礎技術やディフェンスのコンセプトを習ってきました。そのビッグマンキャンプのメンバーから自分だけがU19代表の最後までずっとトーステンコーチのもとで選手としてやれたということ、しかも(4月以降は)アメリカと行き来しながらここまでちゃんと来られたということは自信にもなっていますし、自分を誇りに思っています」

2 / 7

厳選ピックアップ

キーワード

このページのトップに戻る