【NBA】デイミアン・リラードの怒り
「僕はステファン・カリーじゃない」 (3ページ目)
このエピソードでもわかるように、リラードは人一倍自尊心が強く、負けず嫌いだ。また、周りに流されない芯の通った強さも持っている。そういった資質が、彼の土台を築いていると言ってもいい。
ウォリアーズの本拠地近く、オークランドの貧しい家庭でリラードは生まれ育った。高校時代は上を目指し、少しでも大学コーチたちの目に留まるように2度転校し、それでも強豪大からは勧誘されず、やっと奨学金のオファーをもらえたウィーバー州立大では3年目に足を故障。NBAに入ってからも、常に自分が過小評価されているとの思い、見返したいという気持ちに突き動かされてきた。
もっとも、実際には新人王(2013年)を受賞し、2年目で早くもオールスターに選ばれるなど、評価はされてもいる。だが、彼にとってはその喜びよりも、3年目にブレイク・グリフィン(PF/ロサンゼルス・クリッパーズ)の故障で欠員が出るまでオールスターに選ばれなかったことや、アメリカ代表の選考から外れた悔しさのほうが強かった。チームやスポンサーから高い契約金を得ても、現状に満足することなく、ハングリーな気持ちを忘れることはなかった。
昨年夏、それまでチームのリーダーだったラマーカス・オルドリッジ(PF/現サンアントニオ・スパーズ)やウェズリー・マシューズ(SG/現ダラス・マーベリックス)をはじめ、スターターのうちリラード以外の4選手がフリーエージェントやトレードで移籍。リラードは若手チームのなかで、自分がリーダーとして上を目指す決意を固めた。
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