幼稚園の先生がなぜレースクイーンに? No.1ルーキーに輝いた木村楓「茨城から何のアテもなく東京に出てきてしまって...」 (3ページ目)
── うーん、そこは悩みどころですよね。
「ただ、あとから知ったんですけど、幼稚園の先生を辞めたあたりから、私が実家に帰ると挙動がおかしかったようなんです。たしかに母と目を合わせることもできず、幼稚園の話もパタッとしなくなったり。それをいろいろ察していたみたいで『気づいていたけど、自分の口から言うまで訊かないでいたよ』って......ありがたいですね。
本当、昔から隠しごとが苦手で、すぐバレちゃうんです(笑)。でも、ようやく言えることができたし、今は応援してくれているので、本当によかったなって」
── それはうれしいですね。幼稚園の先生時代の思い出は何かありますか。
「大変だったのは、幼稚園でのお遊戯会。子どもたちにダンスや劇を教えるんですけど、ひとつにまとめるのが本当に大変でしたね。衣装も手作りだったので、朝早くに出勤して、夜遅くまで作業して......。
ただ、その大変さ以上に、子どもたちの成長を見ることが生きがいだったので、とても充実した時間でした。子どもたちが本当に、私を成長させてくれましたね」
── そんな好きな仕事を辞めてまで、レースクイーンの道を選んだわけですね。
「辞めたくない気持ちはとってもありました。でも、レースクイーンに対して、それ以上の気持ちがありました」
── 幼稚園の先生最後の日は、寂しかったんじゃないですか。
「もう本当に寂しくて......。子どもたちはもちろん、保護者の方々とも良好な関係だったので、プレゼントや花束まで用意してくれて。最後、校門を出たあとは、ずっと泣きながら家まで帰りました」
── そんな思いを抱えながら上京したのに、最初はうまくいかなかった。
「はい。でも、あの挫折があって、少し強くなれたような気がします。苦しかった時代に戻りたくはないですけど、あの時の気持ちは忘れずに持っておこうと思います」
── いろいろな経験をして、何か性格的な変化はありましたか。
「いやー、それがまったく変わらなくて(笑)。家族や昔からの友だちに会っても「ぜんぜん変わらないね」って言われます。ただ、レースクイーンのコスチュームを着る時は『ちょっと違う自分になろう』って意識的に切り替えている部分はありますね」
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