幼稚園の先生がなぜレースクイーンに? No.1ルーキーに輝いた木村楓「茨城から何のアテもなく東京に出てきてしまって...」 (2ページ目)
女子高生時代の木村楓さんこの記事に関連する写真を見る── えっ、幼稚園の先生だったんですか? それを辞めて、勢いで上京してしまったと。
「そうなんです。でも、しばらくはオーディションを受けても何も決まらない状態で、レースクイーンになるのはこんなに大変なんだって痛感したというか、限られた一部の女のコにしかなれないんだって、すごい打ちのめされたんです......。あの時は毎日のように泣いていました(笑)」
── 気になる幼稚園の話はのちほど訊くとして、どうやってチャンスを掴んだんですか?
「レースクイーンになれなくて茨城に帰ろうか悩んでいた時期、『オートサロン』というイベントでたまたま一緒に仕事をした女性の方がレースクイーンをしていて、今の事務所のイースマイルに所属していると聞いたんです。じゃあ私も、最後の頼みの綱としてイースマイルにアプローチしてみようって。
けど、どう応募するのかわからなかったので、ホームページの『お仕事依頼』みたいな企業フォームからメールを送ったんです(笑)。それで面接をして、レースクイーンになりたいんですって熱意を伝えたら、所属させてもらうことが決まったんです」
── アテもなく上京したことといい、すごい行動力ですね。
「行動していなかったら、たぶん今、ここにはいないと思います。昔から『こうしたい!』と思ったら、行動に移さなきゃ気が済まない性格なんです。
自分に自信がなくて、自己肯定感も低いんですけど、目標が決まるとそれに向かってコツコツ頑張れる気質なので。レースクイーンも本当にただ『なりたい!』と、衝動的に行動してしまって......」
── なるほど。じゃあレースクイーン以前は、幼稚園の先生が夢だったんですか?
「そうですね。母が幼稚園教諭だったので、その背中を追って私も教員免許を取ったんです。子どもが大好きで、務めたのは2年間だけなんですけど、本当に楽しかったですね」
── 幼稚園の先生といえば公務員ですし、安定した職業だと思うのですが、親御さんからは反対されなかったんですか?
「実は誰にも言わないで上京したんです。母に伝えたら悲しむかなと思って、決まってから言おうって。レースクイーンという仕事に理解があるかわかりませんでしたし、すごく大切に育ててくれた親だったので......」
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