角田裕毅が怒りのチーム批判「すべてが間違っている」 大成功したリカルドと同じ戦略を採っていれば... (3ページ目)

  • 米家峰起●取材・文 text by Yoneya Mineoki
  • photo by BOOZY

【角田の傷口はどんどん広がった】

 ただ問題は、残り40周をミディアムタイヤで走りきれるかどうか。だが、リカルドは初めて決勝を走るマシンにもかかわらず完璧なタイヤマネージメントで好ペースを維持し、最後はアルボンとボッタスの中団グループ最上位争いに追いつくところまでいった。

 スタートでリカルドのうしろにいたストロールが10位でフィニッシュしているのを見れば、リカルドは1周目のインシデントがなければ十分に入賞を争うチャンスがあったことになる。

「ということは、このペースを見れば、スタートで彼の前にとどまってそのポジションのまま走れていれば、今日は実際にポイント争いができたということになるだろうね」(リカルド)

 それに対して中団グループ上位の13位にいた角田は、前のアルボンがいなくなったことでクリーンエアになったものの、あまりペースを上げることができなかった。逆に37周目あたりからはペースが低下し、苦しい展開になった。

 それにもかかわらず、チームは44周目まで角田をステイアウトさせ、ポジションをさらに3つ落とし、傷口はどんどん広がってしまった。

 もちろん、ライバルたちの直後にピットインしてカバーしなかった時点でアンダーカットを許すのは確定していた。あとできることは、なるべく引っ張って第3スティントのタイヤ差を大きくすること。

 実際、前のサージェントより10周、ヒュルケンベルグより6周フレッシュなタイヤで追いかける状況を作り出すことはできたが、抜けないハンガロリンクでは、ここで失ったポジションを取り戻すことはできなかった。

 オーバーテイクが可能なサーキットならば、有効な戦略だったろう。だが、ここはハンガロリンク。そしてアルファタウリは、20台のなかで最も「最高速が遅いマシン」だった。

 レース後、マシンから降りた角田は怒りに満ちていた。

「(1回目のピットストップ後も)まだ挽回する余地はあったと思うんですけど、その後もすべてがうまくいかなかった。(2回目に)入るタイミングは謎でしたし、何がやりたかったのか、ちょっとわからなかったですね。ペースはよかったんですが、すべてをまとめ上げることができませんでした。その点については、これからチームとしっかり見直したいと思います」

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