レーシングドライバー中嶋一貴が引退。印象深いのはゴール直前のリタイア「衝撃的ですごく悔しかった」 (2ページ目)
【印象深いのは途中リタイアのレース】
中嶋は、そこでトヨタの育成ドライバーとなり、世界を目指す環境のなかでキャリアを歩んでいくことになる。2007年にはブラジルGPでF1デビューを果たし、08年、09年はウイリアムズと契約し、日本人として8人目のフルタイムドライバーとしてF1を戦った。その後、トヨタのトップドライバーとしてWEC(世界耐久選手権)とスーパーフォーミュラ、スーパーGTで活躍し、2018年にはル・マン24時間で初めて優勝を果たした。
「ル・マンの優勝はうれしかったですね。でも、個人的に強く印象に残っているのは、その時ではなく、2016年のル・マンです。トップで走っていながらラストのホームストレートで車が止まってリタイアしたんですが、これは衝撃的でしたし、すごく悔しかった。今も忘れられないですね。勝った経験も大事ですが、負けた経験のほうが自分の成長のために大きなものを与えてくれる。この経験があったから結果的にル・マンの初優勝につながったんだと思います」
そのル・マンでは、3連覇を達成し、トヨタの顔として世界のレースシーンを駆けた。最後のレースになったのは、昨年、WEC最終戦のバーレーン8時間だった。
「この時点では、まだレーシングドライバーとして完全な引退は表明していなかったんですけど、自分のなかでは決めていました。これが本当に最後なんだなと思うとなかなかレースに集中しきれない部分がありましたし、トップでチェッカーフラッグを受けた時は、やっぱり感情を抑えることができませんでした」
ここでWECのレギュラードライバーとしてのキャリアに終止符を打つことになるが、まだ36歳という若さだ。父・悟さんは38歳で引退したが、今はアスリート年齢が伸び、いろんなスポーツで長く活躍している選手が多い。中嶋の引退には、「まだできるのに」という声が非常に多かった。
「少し早いかなという気持ちがないわけでもなかったですね(笑)。でも、世界耐久選手権でトヨタは若いドライバーに世代交代していかないといけないということで僕はWECのレギュラードライバーを降りることを決めました。本来ならそこで国内レースへというのが通常の道なんですけど、トヨタから新たな提案があったんです。ドイツにトヨタ・ガズー・レーシング・ヨーロッパという会社があるのですが、そこでトヨタを強くしていくための仕事をしてくれないかと言われました。最初は、悩みましたね。バーレーンのあとは、国内でドライバーを続けようと思っていましたから」
しばらく熟慮の期間を経て、中嶋はそのオファーを受諾する。
「決めたのは、僕がドライバーとして成長できたのは、トヨタという世界を目指せる環境があったからなので、まずその恩返しをしたいということですね。それから今後、モータースポーツ界が大きく変わっていくなかで、世界を目指したいという若いドライバーのためにいい環境を作っていくことが大事なことだなと思ったからです」
レーシングドライバーとして心残りはあった。ここ2年間はコロナ禍の影響で移動が制限され、国内外でレースが中止になり、カレンダーが変更になった。
「海外でも国内でも落ち着いてレースができなかったですし、国内のファンに自分の姿を見せられないまま引退してしまった。それは、本当に心残りですし、申し訳ない気持ちです」
中嶋は、そう言って少し複雑な表情を見せた。
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