ホンダF1第4期、7年間の歩み。復帰戦を目指す3カ月前、事態はあまりに深刻だった (3ページ目)

  • 米家峰起●取材・文 text by Yoneya Mineoki
  • photo by BOOZY

 一般的なF1チームは、テストには夜専属スタッフを投入して二交代制で運営する。だが、ホンダには夜チームがいなかった。2008年限りでF1から撤退し、6年間この世界から離れていたホンダは、そのF1界の常識を知らなかったからだ。

 第3期のF1活動を終えてから、いかに完全にF1とのつながりが断たれていたかを物語る事実だった。無限を介して最新のF1とつながり続けていた第2期のあととは違い、日進月歩のF1において完全に断絶した6年間のブランクは、あまりに大きかったことを痛感させられた。

 ホンダは2013年5月に、マクラーレンとのタッグでF1に復帰することを発表した。実際にはその前年末からF1復帰に向けた動きが始まっていたというが、それでも当時、何年も前から研究開発を進めてきたフェラーリやルノーでさえ苦しみ抜いていたほど複雑なパワーユニットだ。2015年からの参戦さえ「無謀だ」という声は、社内のエンジニアたちの間で強かったという。

 しかし、マクラーレンの財政事情もあって言われるままに当時のホンダ本社側が契約を交わしてしまっており、パワーユニットを開発する新井総責任者ら本田技術研究所のエンジニアたちは、たった2年という短期間で開発するという極めて厳しい難題に挑まなければならなかった。エンジンやターボといった部品開発の脚の長さを知る者ならば、それがいかに無謀なことであるかはわかるはずだ。

 それでも、2013年の秋口にはベンチ上で1世代目のエンジンに火が入り、2014年の9月には2世代目の試作機としてERSも含めた全コンポーネントを接続してのテストを開始。これをマクラーレンの2014年型マシンに詰め込んだのが、アブダビに持ち込まれたテスト専用車両MP4-29/1X1だった。

 マクラーレンとホンダがともに支え合い、1チームとして高め合っていく。そんな思いを込めて命名されたのが、「1X1(ワン・バイ・ワン)」という名前だった。

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