2020.10.22

中野真矢が加藤大治郎と繰り広げた熱戦。20年前、激動のロードレース界

  • 西村章●取材・文 text by Nishimura Akira
  • 竹内秀信●撮影 photo by Takeuchi Hidenobu

MotoGP最速ライダーの軌跡 
日本人ライダー編(3) 中野真矢 上 

世界中のファンを感動と興奮の渦に巻き込んできた二輪ロードレース界。この連載では、MotoGP歴代チャンピオンや印象深い21世紀の名ライダーの足跡を当時のエピソードを交えながら振り返っていく。
日本人ライダー3人目は、中野真矢。世界でチャンピオン争いを繰り広げた非凡なライダーの物語を伝える。 

1999年から250ccクラスにフル参戦した中野真矢。日本GPで初優勝を果たした
 中野真矢は、世界グランプリで250ccクラスフル参戦デビューを飾ったシーズンの開幕戦、マレーシアGPでいきなり3位表彰台を獲得した。そして、次戦の日本GPでは優勝。雨のツインリンクもてぎで表彰台の頂点に立ち、「自分にも、グランプリで戦っていけるだけの実力があるのかもしれないな......」という手応えを感じたのだという。1999年のことだ。当時の中野は、21歳。世界グランプリに挑戦するために休学した武蔵工業大学(現・東京都市大学)工学部のキャンパスでは、桜が咲いている季節だった。

 5月上旬の第3戦スペインGPでは、ポールポジションを獲得。次のフランスGPで2位。その後もイギリスGPで3位、南アフリカGPで2位に入り、年間ランキングを4位としてルーキー・オブ・ザ・イヤーを獲得した。

 翌2000年は、全日本ロードレース時代からしのぎを削り合ってきた加藤大治郎が中野の1年遅れでグランプリへやってきた。

 当時、中野と加藤は強烈なライバル関係にあった。全日本時代は加藤がホンダファクトリーチームで、対する中野はヤマハファクトリーチーム。ふたりのライバル関係はメーカー同士の威信を賭けた戦い、という側面も大きかった。

「大治郎さんはポケバイ(ポケットバイク)に乗っていた子ども時代からすでに大スターで、1歳年下の僕はその背中をずっと追いかけている状態でした。全日本でヤマハのファクトリーチームに入ったときに、ようやく少しだけ追いつくことができた、という気がしました。彼はホンダで自分はヤマハですから、チームの人からは『目を合わせるなよ。話をするんじゃないぞ』と言われるくらい、いつもすごい緊張感でピリピリしていた。そんな時代でしたね」