中野真矢が加藤大治郎と繰り広げた熱戦。20年前、激動のロードレース界 (5ページ目)

  • 西村章●取材・文 text by Nishimura Akira
  • 竹内秀信●撮影 photo by Takeuchi Hidenobu

 決勝のポールポジションは中野、2番グリッドにジャック。レースが始まると、ふたりは最終ラップまで完全に互角のバトルを続けた。最終コーナーには中野がわずかに先行して入っていった。コーナーを立ち上がり、ゴールラインまでの直線でジャックがほぼ横並びになった。そしてゴールラインを通過。

 ジャックが数十センチ先行していた。ふたりのタイム差は0.014秒だった。

 チャンピオンのジャックとランキング2位の中野は翌01年に、Tech3レーシング全体が持ち上がる格好で500ccクラスへステップアップした。中野はシーズン半ばの第9戦ドイツGPで3位表彰台を獲得。4戦で4位に入る非凡な走りを見せ、最高峰クラスでもルーキー・オブ・ザ・イヤーを獲得した。

 02年からはマシンの技術規則が大きく変わり、2ストローク500ccから4ストローク990ccMotoGPマシンの時代へと移ってゆく。世界グランプリの歴史では過去最大ともいえるこの大きな変更に際し、初年度の02年は2ストローク勢と4ストローク勢が混走するシーズンになった。ファクトリー勢はどの陣営も最新のMotoGPマシンで開幕を迎えたが、ヤマハのサテライトチームであるTech3レーシングの中野は、前年同様の2ストロークマシンYZR500でこの激動のシーズンに臨んだ。中野たちにMotoGPマシンのYZR-M1が与えられたのは、一年もそろそろ終盤に差し掛かった10月の第14戦マレーシアGPだった。
(つづく)

【profile】
中野 真矢 Nakano Shinya 
1977年、千葉県生まれ。1987年に全日本ポケットバイク選手権で優勝。98年、全日本ロードレース選手権250ccクラスチャンピオン獲得後、99年にロードレース世界選手権250ccクラスにフル参戦。2000年には同クラスで年間ランキング2位となる。01年より最高峰クラスにステップアップし、ルーキー・オブ・ザ・イヤーを獲得するなど活躍。09年に現役を引退。現在はモーターサイクル関連のブランド運営のほか、若手の育成などに尽力している。

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