加藤大治郎という天才ライダーの生きた証。その走りは決して色あせない (3ページ目)

  • 西村章●取材・文 text by Nishimura Akira
  • 竹内秀信●撮影 photo by Takeuchi Hidenobu

 開幕戦の日本GP鈴鹿決勝レースは雨になった。難しいコンディションの中、当時ホンダファクトリーのバレンティーノ・ロッシがRC211Vで優勝を飾り、MotoGPマシン勢が圧倒的な強さを見せた。500cc勢の最上位は、ヤマハYZR500を駆る阿部典史の5位。

 阿部は、加藤とはまた違ったタイプの天才型ライダーで、これについても異論のある人はいないだろう。1990年代には瞠目(どうもく)するような走りを何度も見せ、ロッシが憧れてサインを求めた唯一のライダーとしても知られている。さらに余談ついでにいえば、幼馴染みの加藤と阿部がMotoGPパドックの隅で語らう姿は、緊張の糸が張り詰める世界選手権の場でそこだけが何やらほのぼのとして、穏やかな日だまりのような雰囲気も漂っていた。その阿部も今はいない。

 2002年シーズンに話を戻すと、第2戦の南アフリカGPではロッシのチームメイトだった宇川徹が優勝。ロッシが2位。ここでも、ホンダの4ストローク990ccマシンRC211Vが圧倒的な強さを見せた。第3戦からは舞台を欧州へ移し、本格的なヨーロッパラウンドが始まった。欧州緒戦は恒例のスペインGP、アンダルシア地方のヘレスサーキットだ。

 このレースで、加藤は2位に入った。ヘレスはコースレイアウト的に長い直線がなく、短めのストレートを高中低速コーナーがつなぐ構成のサーキットだ。2ストロークNSR500の加藤はブレーキングとコーナーで詰めてなんとか食いつこうとするが、RC211V勢はコーナー立ち上がりからの加速で無残なくらいにあっさりと引き離していく。

 そうした状況でも、加藤は宇川のRC211Vを追い詰めてゆき、最後はロッシまで1.190秒差の2位でゴールした。表彰台に登壇した加藤も溌剌(はつらつ)としていたが、表彰台下でそれを祝福するチームスタッフのうれしそうな表情が何よりも印象的だった。

 その後のレースは、ロッシとRC211Vが快進撃を続け、加藤は苦しい戦いが続いた。状況が変わったのは、約1カ月のサマーブレイク後にシーズンが再開した8月末の第10戦チェコGPだ。このレースから、加藤にもRC211Vが支給されることになった。

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