「いぶし銀ライダー」は就活中。玄人受けするドヴィツィオーゾの魅力 (2ページ目)

  • 西村章●取材・文 text by Nishimura Akira
  • 竹内秀信●写真 photo by Takeuchi Hidenobu

 とはいえ、これらの秀でた能力は華やかさとは縁遠いことがらばかりだ。だからこそ、ドヴィツィオーゾは、笑顔や立ち居振る舞いが広く世の中の皆に愛される華やかな人気者としてのポジションではなく、むしろ、その走りや技術が目の肥えた玄人受けする渋い持ち味の選手という立ち位置を確保しているのだろう。それはまた、そんな彼の能力が熟成していぶし銀の魅力を放つようになるまでには、それなりに長い年月が必要だった、ということなのかもしれない。

 1986年生まれのドヴィツィオーゾがグランプリの125ccクラスにフル参戦デビューしたのは2002年、16歳のときだ。デビュー翌年から頭角を現しはじめ、同世代のケーシー・ストーナー、ホルヘ・ロレンソ、ダニ・ペドロサたちと表彰台を争って04年に125ccクラス王者となった。05年から07年まで250ccクラスを戦い、08年に最高峰のMotoGPへ昇格を果たした。

 ちなみに、02年のグランプリデビューから08年の最高峰クラス初年度まで、ドヴィツィオーゾはずっと同じチームに所属している。イタリアのホンダ系有力チームで、チームと選手はともに成長しながらクラスを上げるステップアップを果たしてきた。

 この125ccから250cc時代を通じて、ドヴィツィオーゾは常に34番のバイクナンバーを使用していた。いうまでもなく、これはケビン・シュワンツが現役時代に使用した番号だ。ブレーキングの鋭さで他の追随を許さないシュワンツに憧れた少年は、自分自身の走りをヒーローに投影させながら、ライディング技術を研ぎ澄ませていった。MotoGPクラスへ昇格するにあたり、シュワンツの34番は永久欠番となっていることから、ドヴィツィオーゾはひとケタ目の番号4番のみを残して自らのバイクナンバーとした。

 最高峰昇格初年度は、シーズン終盤のマレーシアGPで3位表彰台を獲得し、年間総合5位。翌09年にはファクトリーのレプソル・ホンダ・チームへ抜擢された。当時のチームメイトはダニ・ペドロサで、イタリア人とスペイン人の、ともにホンダ生え抜きライダーによるチーム体制になった。11年には、ドゥカティから移籍してきたケーシー・ストーナーがそこに加わり、3名のファクトリーライダーというやや珍しいチーム構成になった。

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