2019.08.28

リーマンショック発生でF1を目前に帰国。それでも塚越広大は走り続ける

  • 川原田剛●取材・文 text by Kawarada Tsuyoshi
  • 能登直●撮影 photo by Noto Sunao(a presto)

【スポルティーバ Interviews】

塚越広大 TSUKAKOSHI KOUDAI プロとして生きる術 >>前編を読む

 ■2008年秋に発生した国際的な金融危機「リーマンショック」は、モータースポーツの世界も直撃した。自動車メーカーは経営が悪化し、ホンダやBMWはF1からの撤退を余儀なくされ、モータースポーツ活動を縮小する。その影響を受け、子どもの頃からの夢だったF1の目前まで迫っていた塚越のレース人生は大きく変わっていくことになる。

――2008年に21歳でレース本場のヨーロッパに渡り、ミドルフォーミュラのヨーロッパF3に参戦。シーズン終了後にはF1直下のGP2のテストに参加して好タイムをマーク。順調にステップを重ねていたところに、リーマンショックが発生します。ホンダはF1の撤退を発表し、塚越選手も帰国することになりましたが、国内レースのシートはまったくない。まさに天国から地獄という状況です。

「ホンダの方にも『2009年のシートはない』と言われ、本当にツラかったですね……。そんな中で、リアルレーシングの金石勝智監督から08年12月に電話をいただき、日本最高峰フォーミュラカーレース、フォーミュラ・ニッポンのオーディション参加の機会を与えていただきました。そのテストでトップタイムを出すことができ、何とかシート獲得につなげることができました。さらに、金石監督からは開幕直前のタイミングでスーパーGTにも参加するチャンスをいただきました。この時は本当にうれしかった。しかも、この年から初めてお金をもらって走ることになりました。いわばプロになったわけです」

今季スーパーGTもリアルレーシングから参戦(写真提供/ホンダ)――それから現在まで、日本のトップカテゴリーであるスーパーフォーミュラとスーパーGTでプロとして10年間戦ってきました。

「あらためて振り返るとあっという間でした。帰国した当初はホンダがF1から撤退した中で、どうやってヨーロッパに戻ればいいのかと考え、スーパーフォーミュラとスーパーGTで結果を出すことが一番だという結論になりました。日本最高峰のふたつのカテゴリーで結果を出すために、これまで必死にやってきました。

2013年5月、ホンダが2015年からF1に復帰するという発表を行ない、もう一回世界にチャレンジしたいという気持ちが沸き上がってきました。その頃にはもう20代後半になっていましたし、F1は20代前半のドライバーがステップアップする時代になっていました。それでもチャレンジするしかないと思い、GP2のテストに参加したのですが、残念ながらそこでヨーロッパで戦うチャンスは得られませんでした。

でも、いつかはF1に限らず、ヨーロッパやアメリカの世界のトップカテゴリーで走ってみたい。アメリカのインディカーやナスカー(NASCAR)、ヨーロッパにはル・マンなどのスポーツカーレースもあります。ひとりのドライバーとして世界のいろんなレースに出場してみたいという気持ちを持っています」