奨学金制度でF1を目指した日本人ドライバー。塚越広大の生き方 (3ページ目)
■レーシングカートの世界で順調にステップアップを重ねる塚越。しかし一般のサラリーマン家庭である塚越家の家計はかなり逼迫していた。父・一浩さんは、銀行から借金をしたり、自分の愛車を手放したりしてレースの活動費を捻出していたというが、それもいよいよ限界に近づいてきた。
――19歳でF3にデビューを果たしていますが、それまでの道のりで挫折しそうになった時はなかったのですか?
「2002年、レーシングカートの鈴鹿選手権シリーズのMFCクラスに参戦していたころです。15~16歳ですから、高校2年生の頃。ちょうどこのレースが鈴鹿サーキットレーシングスクールのスカラシップをかけたシリーズでした。カートからフォーミュラにステップアップすると、参戦費用がどんどん高くなっていきます。このMFCクラスでスカラシップを取れないと、いったんレースをやめることも考えなければならないと父からも言われていました。『チャンピオンになれなければもうやめるしかない』という悲壮な覚悟で臨みました。
でも、そのシーズンはなかなか勝てず、ランキング2位で最終戦を迎えました。最終戦は2レースだったのですが、連勝しないとチャンピオンになれないというギリギリの状況に追い込まれました。それでも何とか2レース連続で優勝することができ、現在につながっています。これまで数多くのレースに出場していますが、この2002年のレーシングカートの最終戦は一番記憶に残っています。まさに僕の人生がかかったレースでしたね」
――F3はまさにプロになるための最後の関門となるレースです。F3で好結果を出せば、国内ではプロと呼ばれるスーパーGTやスーパーフォーミュラに参戦することができます。
「F3は世界各国で開催されている入門カテゴリーで、若手ドライバーがその先にステップアップを目指すカテゴリーです。僕は2006年~07年は国内でF3を戦い、07年にはF3の世界一決定戦のマカオGPで2位に入ることができました。その後、F3参戦3年目にはイギリスに渡り、ヨーロッパのF3に参戦するチャンスをいただきました。
そして08年のシーズン終了後にはF1直下のGP2(現在のF2)のテストを受けることができました。自分のプランどおりにステップアップを果たし、夢のF1まであと一歩まで迫ったと自分では思っていました」
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