レッドブル・ホンダ「モナコSP」投入。
セナも勝った秘策でいざ勝負
レッドブルは1年前のここモナコで劇的な勝利を挙げた。1992年、マクラーレン・ホンダのアイルトン・セナも、ここモナコで伝説に残る勝利を挙げた。
このふたつの勝利には、共通点があった。
モナコの市街地コースを攻めるレッドブル・ホンダ 昨年のレッドブルは圧倒的な車体性能を武器にポールポジションを獲り、決勝でも後続を寄せつけなかった。MGU-K(※)が壊れ120kW(約160馬力)のハイブリッド回生をすべて失うという苦境に直面しながらも、78周にわたってメルセデスAMG勢とフェラーリ勢を抑え込んで勝利を掴み獲った。
※MGU-K=Motor Generator Unit-Kineticの略。運動エネルギーを回生する装置。
それができたのは、レッドブルの車体性能もさることながら、モナコのサーキット特性によるところが大きかった。
まずひとつは、パワー感度が低いこと。
モナコはスロットル全開で走る時間が極めて短い超低速サーキットゆえ、パワーの多寡がラップタイムに与える影響が小さい。多くのサーキットでは10kWのパワー差が0.2~0.25秒に相当するのに対し、モナコでは0.15 秒にも満たない。だから、ハイブリッドを失っても損失は1.8秒以下で済んだ。他のサーキットでは3秒にもなり、たちまち勝負権を失っていたはずだ。
もうひとつは、抜けないサーキットであること。
「このワイドなクルマでは、オーバーテイクがほぼ不可能だよ。もし、前のクルマにコースの真ん中を走られたら、どうすることもできないからね」(マックス・フェルスタッペン)
逆に前を走る者にとっては、多少ラップタイムが遅かろうとも、巧みなドライビングで抑え込むことが可能になる。1992年、アイルトン・セナがナイジェル・マンセルのウイリアムズを抑え込んで勝った、あの劇的な勝利もそうだった。
当時ゲルハルト・ベルガー担当エンジニアとして現場にいた田辺豊治テクニカルディレクターも、そのことをはっきりと覚えていた。ベルガー車はトラブルで前夜に2度のエンジン交換を行なったにもかかわらず、決勝はギアボックストラブルでリタイアしてしまい、田辺テクニカルディレクターはピットガレージでセナのレースの行方を見守っていたという。
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