2018.09.05

小林可夢偉、初の表彰台。
鈴鹿を埋めた10万人のエネルギーが爆発

  • 米家峰起●取材・文 text by Yoneya Mineoki
  • 桜井淳雄●撮影 photo by Sakurai Atsuo(BOOZY.CO)

【短期連載】鈴鹿F1日本グランプリ30回記念企画

 みんな、この瞬間を待っていた。鈴木亜久里が表彰台に立ってから22年――。日本人が鈴鹿サーキットでトロフィーを持ち上げるシーンが、2012年にふたたび訪れる。小林可夢偉がついに10万3000人の観衆の夢を叶えた。

F1日本GP「伝説の瞬間」(1)から読む>>>

メカニックがずっと持っていた日の丸の前で歓喜する小林可夢偉F1日本GP「伝説の瞬間」(5)
ザウバー小林可夢偉の3位表彰台(2012年)

 サーキットが一体になる。全長5.807kmに及ぶ鈴鹿の全周にわたって取り囲む、10万人を超える大観衆がひとつになった。それは、すさまじいエネルギーが大観衆を突き動かしたからこそ、起こり得た。疑いようもなく、彼はそれほどまでに大きな感動を生み出してみせたのだ。

 2012年のF1は、開幕から7戦で勝者がすべて異なるほどの大混戦だった。

 そんななかで、ザウバーは中堅チームらしからぬ躍進を見せ、マシン特性に合った高速コーナーが多くバンピーでないサーキットでは抜群の速さを見せた。上海(第3戦・中国GP)では予選4位、バルセロナ(第5戦・スペインGP)では予選5位、スパ・フランコルシャン(第12戦・ベルギーGP)では予選2位という驚異的な速さだった。

 しかし小林可夢偉にとって、2012年は決して楽なシーズンではなかった。

 チームメイトのセルジオ・ペレスが第2戦・マレーシアGPであわや優勝かという好走を見せ、2位で初となる表彰台を獲得すると、第7戦・カナダGPでも3位、そして第13戦・イタリアGPでも2位と、計3度の表彰台を獲得し、エースドライバーの可夢偉は焦りを募らせていた。

 ペレスは豪雨で赤旗中断から路面が乾いていくセパン(マレーシアGP)で、ギャンブル的な戦略がピタリとハマった。カナダGPでも、イタリアGPでも、スタートからプライムタイヤでできるだけ長く引っ張るギャンブル的な戦略が、見事なまでに当たった。定石どおりの戦略を採った可夢偉にも同じように表彰台のチャンスはあったはずだが、カナダ、イタリアともにペレスのほうが予選で後ろにいたからこそできたギャンブルであり、それが表彰台につながったのは皮肉だった。