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『ウマ娘』では第1期アニメの主人公 天才ジョッキーの悲願を実現したスペシャルウィーク (2ページ目)

  • 河合力●文 text by Kawai Chikara

 そこまでの過程を振り返ると、スペシャルウィークはデビュー2戦目こそ、よもやの2着に敗れたものの、その後は重賞を連勝して順調にキャリアを積んでいく。同馬は4戦3勝の成績で、クラシック三冠の初戦となるGⅠ皐月賞(中山・芝2000m)に駒を進めた。当日は、単勝1.8倍の1番人気に支持された。

 だが、このレースでは大外18番枠からの発走となって、終始外、外を回る厳しい展開に。結果、3着に敗れてしまう。勝ったのは、盟友・セイウンスカイ。2着にはキングヘイローが食い込んだ。

 悔しい敗戦を経て迎えたのが、大目標の日本ダービーだった。ここでもスペシャルウィークは、単勝2.0倍の1番人気となる。2番人気はキングヘイロー、3番人気にセイウンスカイと続いた。

 このオッズには、武豊騎手のダービー初制覇を期待するファンの想いも込められていたのかもしれない。1987年にデビューした稀代の天才ジョッキーは、新人最多勝記録を更新(当時)したあと、2年目でGⅠタイトルを奪取。その後も、数々のビッグレースを制していった。

 しかし、デビューから10年経っても、競馬界最高峰のレースとされるダービーのタイトルには手が届かなかった。1990年には皐月賞馬のハクタイセイ(2番人気)で挑むも5着。1993年にも再び皐月賞馬のナリタタイシン(3番人気)で臨むも3着。1994年のフジノマッケンオー(5番人気4着)、1995年のオースミベスト(3番人気8着)、1997年のランニングゲイル(2番人気5着)でも涙をのんだ。

 なかでも、痛恨の敗戦は1番人気ダンスインザダークで必勝を期した1996年。好位で運んで直線半ばで先頭に立つも、わずかキャリア2戦で出走してきたフサイチコンコルドの強襲を受けて、クビ差の2着に敗れてしまったのだ。

 こうしたなかで、「武豊はダービーを勝てない」というジンクスめいた言葉まで聞かれるようになった。今考えれば、当時まだ20代。いくらでもチャンスはあるが、それほどまでに、この天才ジョッキーはデビューからさまざまなハードルをたやすく乗り越えてきたのである。

 人馬それぞれの想いが去来するなかで、1998年のダービーはスタートをきった。戦前はセイウンスカイが逃げると予想されたが、実際に先頭でレースを引っ張ったのはキングヘイローだった。どよめきが起こるなか、武豊騎手とスペシャルウィークは中団に構えた。

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