「将棋の世界しか知らなかった」竹俣紅アナがアナウンサーの道を選んだわけ (2ページ目)

  • 浅田真樹●取材・構成 text by Asada Masaki
  • スエイシナオヨシ●撮影 photo by Sueishi Naoyoshi

――競馬には将棋との共通点があるんですね。

「事前にいろいろと調べる過程はよく似ていると思います。

 たとえば、将棋で次の公式戦での対戦相手が決まると、その相手が今までに差してきた内容を全部見て分析するのですが、相手が裏をかいてきたり、新たな戦法を取り入れたりして、データどおりに進むとは限らない。そういうところは競馬の予想とよく似ています。

 そういう経験があったので、私は(予想のための細かいデータを)事前に調べるということには慣れているのだと思います」

――ところで、女流棋士の道を歩んでいた竹俣アナが、なぜアナウンサーになろうと思ったのですか。

「私は大学時代にテレビに出るにあたって、発声というものを学ぶためにアナウンススクールへ通っていたのですが、そこでは相手に伝わる読み方をしなければいけないという"伝えるプロフェッショナルの世界"があることを知り、興味を持ったのがきっかけです。

 アナウンサーになろうと思ったというよりは、就職活動をしようと思って、いろいろな業界のインターンシップに行きました。マスコミはそのひとつで、テレビ業界に関しては、私は学生時代から出演者側で関わっていたので、ある意味、身近な職業と言いますか、他の職業より仕事の内容が想像しやすかったということもありました。就職活動をするにあたって、けじめをつけようと、日本将棋連盟を退会しました」

――学生時代にさまざま番組に出演していた時は、アナウンサーの方たちをどう見ていたのですか。

「(フジテレビの情報番組)『Mr.サンデー』(毎週日曜22時~)にコメンテーターとして出演させていただいた時のことですが、椿原慶子アナウンサーがMCを担当されていて、どんな時も臨機応変に対応されている姿を見て、すばらしいプロフェッショナルの仕事だなと思っていました」

――長く続けた将棋を辞めることに迷いはなかったのですか。

「将棋自体は今でも好きですが、小学生の時に将棋を始めて、何となく強くなったらプロになるものだという感覚でやってきて、中学2年生の時に女流棋士になって。強くなるためにがむしゃらに勉強してきたら、こうなっていたという感じだったので。

 大学に入って自分の将来のことをもう一度よく考えた時に、別の職業に就くというのも選択肢としてあるのではないかなと思いました」

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