ウマ娘では「復活」を遂げたサイレンススズカ。宝塚記念は史上最強の逃げ馬が制した唯一のGⅠだった (4ページ目)

  • 河合力●文 text by Kawai Chikara
  • photo by Kyodo News

 だからこそ、続くGⅠ天皇賞・秋(東京・芝2000m)には多くの視線が注がれた。忘れもしない1998年11月1日。1枠1番サイレンススズカ。奇妙なくらい1が並んだ。

 ほとんどの人が、どんな勝ち方をするのか、どれだけ引き離してゴールするのか、そればかり考えていたこのレース。強い西陽を受けながら、サイレンススズカはいつもどおり颯爽と逃げた。前半1000mは57秒4。テレビで全馬の位置を正確に把握できないほど、栗毛の馬体は後続を引き離した。

 そして4コーナー手前。誰もがサイレンススズカの勝利を確信し、カメラがその主役を捉えた瞬間、ガクンとサイレンススズカの体がよろめいた。武豊はすぐに手綱を引き、必死にコースの外側へと誘導する。はるか後ろにいた馬たちが、一瞬で栗毛の馬体をかわしていった。骨折による競走中止だった。

 競馬を見ている人の多くは、すぐに大きなケガだと感じたはずだ。復帰はできなくとも、命だけは助かって欲しいと思った。しかし、症状は重く、安楽死となったのである。

 この日以降、しばらく競馬から離れた人もいるかもしれない。11月1日を迎えると、今でもあの悲劇がよみがえる人もいるだろう。その後、武豊はしばらく、サイレンススズカについて語るのを避けたと言われる。

 翌年の宝塚記念では、実況を務めた杉本清アナウンサーが「今年もあなたの、私の夢が走ります。私の夢はサイレンススズカです。もう一度この舞台で走って欲しかった」と伝えている。そしてレースを制したのは、毎日王冠で戦ったグラスワンダーだった。

 何年経っても、その悲しみはなかなか消えない。それでも20年以上が経過した今、悲劇だけではなく、その勇姿を思い出したいと思う。天皇賞・秋の涙以外に宝塚記念や毎日王冠での歓喜を語り継ぐのも、今できることかもしれない。

 サイレンススズカが制したGⅠ、宝塚記念。その一戦が来る前に、久々にあの走りを思い出してみたい。

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