【競馬】外国人ホースマンが成功させた
画期的な競馬ビジネスの「裏ワザ」 (3ページ目)
「ヨーロッパ向けのピンフッキングでも、同じことが言えます。ヨーロッパと日本の競馬はどちらも芝メインですが、その芝質は大きく異なるため、求められる能力が変わります。堅い日本の芝ではスピードが足りず、産駒の成績が伸びない種牡馬でも、パワーが必要なヨーロッパの深い芝では、適性を示す可能性があります。日本に輸出されたヨーロッパの種牡馬に対して、『あの馬の子どもは、ヨーロッパでデビューすればもっと走るはず』と考えている海外のホースマンはたくさんいたのです。そういう声をリサーチして、当時日本で種牡馬生活を送っていたウォーニングやペンタイアの子どもを購入し、タタソールズ社(イギリスの競走馬セリ事業最大手)のトレーニングセールなどを目標に育てていました」
日本とヨーロッパ、特にイギリスの芝との違いは有名な話で、それはもちろん種牡馬の成績にも影響を及ぼす。例えば、1990年代にヨーロッパで絶大な勢力を誇ったサドラーズウェルズの産駒は、日本ではまったくと言っていいほど走らなかった。これは、欧州の深い芝と日本の堅い芝の違いからくる適性が影響していると考えられている。
「ウォーニングは日本に行く前にヨーロッパで、ペンタイアはシャトル種牡馬(春の種付けシーズンは日本にいて、夏や秋は四季サイクルの異なる南半球の国に移動し種付けを行なうこと)としてオーストラリアで、それぞれ活躍馬を輩出していました。ですから、子どもへの遺伝能力が優秀なことはわかっていたのです。そういった理由もあり、日本では低価格になりがちな2頭の産駒を、ヨーロッパでは歓迎してくれたのです」
日本と海外で生まれる馬場適性の差というのは、競馬に携(たずさ)わる人にとって、決して目新しい観点とは言えない。それでも、それを確実にビジネスに結びつけたスウィーニィ氏の慧眼には恐れ入るばかりだ。
だが、承知のとおり、スウィーニィ氏はこのスタイルのビジネスを3年間で終えて、2001年に『パカパカファーム』を設立する。フリーのトレーダーとして細かな戦略を打ち立てていた彼が、一転して牧場を開くという道を選んだ背景には、いったいどんな転機があったのか。
次回は、いよいよ『パカパカファーム』を開場するという決断に至ったスウィーニィ氏の胸中に迫る。
(つづく)
ハリー・スウィーニィ
1961年、アイルランド生まれ。獣医師としてヨーロッパの牧場や厩舎で働くと、1990年に来日。『大樹ファーム』の場長、『待兼牧場』の総支配人を歴任。その後、2001年に『パカパカファーム』を設立。2012年には生産馬のディープブリランテが日本ダービーを制した。
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