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中田英寿がセリエAにやってきた! またもワールドカップ出場を逃したイタリアサッカーの黄金期回想録 (4ページ目)

  • 利根川晶子●文 text by Akiko Tonegawa

【サポーターの記憶に刻まれ続ける】

 ちなみにセリエAの黄金期の特徴のひとつが、多くの名物会長の存在だった。ミランのシルヴィオ・ベルルスコーニ(元イタリア首相)、インテルのマッシモ・モラッティ(大手石油精製会社オーナー)、ユベントスのアニエッリ家(フィアット社などのオーナー)......。現在のサッカー界のようにビジネスライクではなく、地元チームへの愛(偏愛?)による運営が多かった。

 そんな名物会長のなかでも、ペルージャのガウッチは断トツの曲者だった。ローマの市バスの運転手から企業家へと転身。買い取ったペルージャをセリエCからAに昇格させた。気に入らないことがあれば、審判だろうがサッカー協会だろうが噛みつき、監督の選手起用にも過激に介入し、メディアを騒がせた。のちに脱税で国外逃亡を余儀なくされたが、先見の明はあったのだ。

 中田はさっそく、ただの"金のなる木"ではないことを証明する。初戦のユベントス戦で2ゴールを決め、華々しいデビューを果たし、イタリア中にその名が知られるようになった。

 筆者はこの日、別の試合を取材していたのだが、中田がユベントス相手に初ゴールを決めた時、近くにいたイタリア人記者から「おめでとう」と握手されたのを覚えている。

 当時はイタリアのどこの町に行っても、日本人だとわかると「ナカタ!」と声をかけられた。それまで「トヨタ」だの「ホンダ」だのと呼ばれていたのが、日本人はすべて「ナカタ」になった。

 特にローマに18年ぶりのスクデットもたらしたあとの人気はすごかった。中田は優勝争いをしていたユベントス戦の後半、トッティと交代で出場すると、2点ビハインドの状態から自らゴールを決め、ヴィンチェンツォ・モンテッラの同点ゴールを演出した。その瞬間、トリノのスタジアムはしんと静まり返り、中田はユベンティーノを黙らせた。

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