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中田英寿がセリエAにやってきた! またもワールドカップ出場を逃したイタリアサッカーの黄金期回想録 (2ページ目)

  • 利根川晶子●文 text by Akiko Tonegawa

【ローカルクラブにもスター選手がごろごろ】

 優勝した西ドイツのローター・マテウス、ユルゲン・クリンスマン、アンドレアス・ブレーメはインテル、ルディ・フェラーとトーマス・ベルトルトはローマに所属していた。準優勝のアルゼンチンにはナポリのディエゴ・マラドーナがいた。

 チームの特色もはっきりしていて、ミランにはルート・フリット、マルコ・ファン・バステン、フランク・ライカールトのオランダトリオがいた。ワールドカップさえセリエAの縮図のような感があり、インテルファンは西ドイツを、ミランファンはオランダを応援していた。

 準決勝のイタリア対アルゼンチンがナポリで行なわれることとなると、ナポリの町はイタリア代表よりマラドーナのアルゼンチンを応援するのではないかと大騒ぎになり、ナポリ市長が「ナポリもイタリアです」とわざわざ表明するほどだった。今でも、その準決勝を別の町(それまでイタリアはずっとローマで試合をしていた)で行なっていたら、イタリアが優勝したと信じている人は少なくない。ナポリでは、マラドーナは神にも等しかった。

 セリエAでプレーしたいがために、世界のトップレベルの選手がイタリアのクラブを目指した。しかし先にも述べたように、外国人は3人までの狭き門。そのためスター選手が必ずしもビッグクラブにいるとは限らなかった。

 少し時代は遡るが、かのジーコが所属していたのは、ユベントスでもミランでもインテルでもなく、北イタリアの小都市クラブ、ウディネーゼだった。フィオレンティーナのガブリエル・バティストゥータ、ブライアン・ラウドルップ、パルマのジャンフランコ・ゾラ、サンプドリアのジャンルカ・ヴィアッリとロベルト・マンチーニ、ラツィオのパベル・ネドヴェド......。ビッグクラブ以外にも代表クラスのスター選手がごろごろいた。いわば毎週、ワールドカップが行なわれているようなものだった。

 そのため、どんなチームにも優勝のチャンスがあった。毎年のように優勝候補が変わり、最終節までスクデット(優勝)の行方はわからず、試合はいやがおうにも盛り上がった。世界で一番拮抗した一番難しいリーグ。それがセリエAだった。

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