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【欧州サッカー】クリロナを罵倒した「パワハラ闘将」ロイ・キーンは、なぜファーガソンに愛され続けたのか (4ページ目)

  • 粕谷秀樹●取材・文 text by Kasuya Hideki

【ファーガソンの一番のお気に入り】

 しかし、腰の故障と加齢でパフォーマンスが落ちた2004年以降も、キーンはやり方を変えなかった。若手に檄(げき)を飛ばしても自分の身体がついていかず、言行不一致のキャプテンは次第に孤立していく。

「プレースタイルを変えたらどうだ? DFラインの前に位置し、ゲーム全体をコントロールすればいい」

 監督のアドバイスにも耳を貸さず、キーンはかつての自分に執着した。2006年、セルティックに移籍するしか選択肢はなくなっていた。

 強権的なリーダーが去ると、ダレン・フレッチャーやジョン・オシェイは生き生きしてきた。プレッシャーから解放されたのだろう。スコールズ、ファーディナンド、ギグス、ガリー・ネヴィルは、より強い覚悟でピッチに立つようになった。

 結果として、キーンの退団は正解だった。2007-08シーズンのチャンピオンズリーグを制し、ファーガソンが「史上最強」と胸を張ったチームは、前キャプテンの移籍を契機に成長する。

 1998-99シーズンのチャンピオンズリーグに優勝した時、キーンは累積警告でピッチに立てなかった。フットボール史上に残る「カンプ・ノウの奇跡(※)」を、観客席から見送るしかなかった。

※スペイン・バルセロナの本拠地「カンプ・ノウ」で行なわれたバイエルンとの決勝戦。0-1で後半アディショナルタイムに入って敗北寸前の状態から、テディ・シェリンガムとオーレ・グンナー・スールシャールがゴールを決めて大逆転勝利を演じた試合。

 マンチェスター・Uの歴史を彩ったにもかかわらず、一切の妥協を許さない性格が災いし、キーンには「トラブルメイカー」のレッテルがついてまわる。

 それでも、サー・ファーガソンはこの男を認めていた。

「歴代のベストイレブンを選ぶのなら、真っ先に『ロイ・キーン』を挙げる」

 最高の誉め言葉じゃないか!

著者プロフィール

  • 粕谷秀樹

    粕谷秀樹 (かすや・ひでき)

    1958年、東京・下北沢生まれ。出版社勤務を経て、2001年、フリーランスに転身。プレミアリーグ、チャンピオンズリーグ、海外サッカー情報番組のコメンテイターを務めるとともに、コラム、エッセイも執筆。著書に『プレミアリーグ観戦レシピ』(東邦出版)、責任編集では「サッカーのある街」(ベースボールマガジン社)など多数。

【図】FIFAワールドカップ2026出場国 フォーメーション&メンバー

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