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【欧州サッカー】クリロナを罵倒した「パワハラ闘将」ロイ・キーンは、なぜファーガソンに愛され続けたのか (2ページ目)

  • 粕谷秀樹●取材・文 text by Kasuya Hideki

【チームを壊すリスク承知で獲得】

 ただ、キーンは現役当時から闘志を全面に押し出すタイプだった。深く鋭いスライディングタックルでボールを奪い取り、接近戦ではひじを使って相手を脅す。時には意識的に強く当てる。「フットボールは格闘技」を体現していた選手で、好意的に表現すれば「闘将」、ネガティブに言えば「乱暴者」。

 代表的な例は、リーズのアルフ・インゲ・ハーランドを削ったシーンである。キーンはスパイクシューズのソールを見せながら、足を上から振り下ろした。VARが採用される今日なら一発レッド。長期間の出場停止も科せられる非道な行為だった。

「あいつをぶち壊してやるつもりだった」

 キーンは反省の色すら見せず、出場停止処分がさらに延長されたとしても不思議ではなかった。ちなみにインゲ・ハーランドとは、現在マンチェスター・シティに所属するアーリング・ブラウト・ハーランドの実父である。

 キーンがノッティンガム・フォレストからマンチェスター・Uにやって来た1993年、プレミアリーグ屈指の名門は過渡期を迎えていた。

 長らくキャプテンを務めたブライアン・ロブソンが引退し、エリック・カントナはキャリアの晩年を迎え、デビッド・ベッカム、ライアン・ギグス、ポール・スコールズの世代はまだ一人前になっていなかった。

「ロイは激情型だ。チームを破壊するリスクはあった。しかし、若手に勝負根性を植えつけるには最適の人材だった」

 のちにサー・アレックス・ファーガソンが振り返ったように、キーンの獲得には大きな不安もあったという。しかし、勝利のために全身全霊を捧げるこの男のプレーに感銘を受けたファーガソンは、自ら進んで移籍交渉にあたった。

 リバプール、アーセナル、レアル・マドリード、バルセロナなど、欧州のビッグクラブがキーンに興味を示していた。そんな状況でキーンを口説き落とすには、名門クラブを率いる「一軍の将」としての熱意を示す必要があったのだろう。

 結果として「赤い悪魔」に加わった闘将の存在が、20余年に及ぶマンチェスター・Uの栄華につながった。弱気なプレーを毛嫌いするキーンは、カントナが1997年に引退すると現場を完全に仕切った。

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