プレミアリーグのチェルシーに世界最高の守備的MF カイセドはデュエルでゲームを支配する (2ページ目)
【守備的MFの系譜】
1925年にオフサイドルールが現在と同じ2人オフサイド制(※オフサイドラインがゴールラインから2人目の相手)になったあと、WMシステムが考案された。1960年代までの標準的システムは今風に記せば3-2-2-3だが、この時のハーフバックが現在ボランチと呼ばれているポジションのルーツになる。ハーフバックは相手のインサイドフォワードをマークしつつ、攻撃では後方と前方をつなぐ役割を果たしていた。
やがて4-2-4、4-3-3とシステムが変わり、かつてのインサイドフォワードは攻撃的MFと呼ばれ、ハーフバックはプレーメーカー、守備的MFに分かれた。
守備的MFは相手の攻撃的MFを抑える重要な任務があり、当然守備力の高い選手が務めていたわけだが、同時に攻撃力にも優れた人材も輩出していった。1990年イタリアW杯で優勝した西ドイツのローター・マテウスは中盤の底に位置しながら司令塔の役割を果たし、同時期にはオランダのフランク・ライカールトも攻守に抜群の存在感をみせていた。このふたりは守備的MFの完成形と言えそうだ。
そんななか、少し毛色の変わった守備的MFも登場する。ジョゼップ・グアルディオラはその代表だった。マテウスのスピードもライカールトのパワーもないグアルディオラが中盤の底に起用されたのは、配球力を買われたからだ。
バルセロナでグアルディオラを抜擢したヨハン・クライフ監督は、そのポジションを「4番」と呼び、最も重要なポジションとしていた。あるインタビューで「4番」の役割を説明するにあたり、テーブルの上の作戦盤というか作戦布を手前に引き、センターサークルに「4番」のコマを置いた。
フィールドのど真ん中、最もボールが経由する場所に最もパスワークに優れた選手を起用する。戦術の説明は「4番」から始まり、緑色の布の3分の1が垂れ下がっていたのが象徴的だった。バルセロナの「4番」は攻撃のためのポジションであり、「守備的」ではないのだ。
のちにセルヒオ・ブスケツが「4番」を継承し、ミランのアンドレア・ピルロ、レアル・マドリードのフェルナンド・レドンドも、このタイプの深い位置にいるプレーメーカーとして活躍している。
現在のプレミアリーグではシティ、アーセナル、リバプールがこのタイプのアンカーを配している。守備もできるが、ビルドアップにおいてアンカーは重要な役割を果たすからだ。だが、チェルシーは少し趣が違う。ビルドアップのハブになる役割はあるが、それよりも守備力が重視されている。
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