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【欧州サッカー】ロナウジーニョの超絶技巧に脱帽 レアル・マドリードのサポーターでさえ拍手で称えた (2ページ目)

  • 粕谷秀樹●取材・文 text by Kasuya Hideki

【もしマンUに移籍していたら...】

「2003年の夏にロナウジーニョを獲得しようとしていた」

 ファーガソンの自著『MY AUTOBIOGRAPHY』で、意外な事実を明らかにしている。さらに......。

「交渉は順調に進み、あとは契約書にサインするだけだった。ところが契約当日、彼はなぜか意見をひるがえし、我々ではなくバルセロナを選んだ」

 2003年のマンチェスター・Uはデビッド・ベッカムがレアル・マドリードに移籍し、攻撃の整備が必要とされていた。なるほどロナウジーニョなら......。いやいや、徹底的に選手を管理するファーガソンとは、どう考えても「水と油」だ。

 当時、ロナウジーニョが所属していたパリ・サンジェルマンのルイ・フェルナンデス監督にも、「練習はサボるが夜遊びは欠かさない」と公(おおやけ)の場で批判されている。ファーガソンが最も嫌うタイプで、対立必至だ。まぜるな、キケン!

 また、正確無比のクロス一発で試合の流れを変えるベッカムと、多種多様なトリックで相手を幻惑するロナウジーニョでは、タイプが違いすぎる。

 結局、マンチェスター・Uはクリスティアーノ・ロナウドを獲得し、ロナウジーニョはバルセロナに新天地を求めた。両者のキャリアをふまえると、2003年夏の選択は大正解といって差し支えない。

 その当時、バルセロナは苦しみもがいていた。1997-98シーズンと1998-99シーズンにラ・リーガを連覇したものの、その後は覇権から遠ざかっていた。

 ルイス・フィーゴが怨敵レアル・マドリードへ移籍。オランダ化を推し進めるルイ・ファン・ハール監督に対する不満は渦を巻き、トップ下がベストと考えられていたリバウドは左ウイングに固定しようとする指揮官から距離をとった。

 さらにファン・ハールは、「私はまったく関与していない」とフアン・ロマン・リケルメの獲得を全否定するなど、現場の責任者とは思えない発言でクラブに混乱を招いていた。

 このピンチを救ったのが、ロナウジーニョである。前述のプラティニのコメントにもあるように、陽気なブラジル人は常に笑顔だった。ロッカールームでも、練習でも、試合中も、ロナウジーニョの周囲は常に明るかった。

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