【欧州サッカー】ロナウジーニョの超絶技巧に脱帽 レアル・マドリードのサポーターでさえ拍手で称えた (3ページ目)
【ミラン移籍がターニングポイント】
ファン・ハール解任後、ラドミル・アンティッチを経て、監督がフランク・ライカールトに代わっていたことも幸いした。同じオランダ人でも、人選や戦略に関してライカールトは柔軟だ。
自由を与えられたロナウジーニョは、その魅力をいかんなく発揮した。相手DFに左半身を預けながら左足裏でボールを引き、反転しつつ右足ヒールでかわす。両足でまたぎフェイントを繰り返し、マーカーが体重移動を誤った瞬間、置き去りにする。
魔法のようなテクニックにバルセロニスタは熱狂し、相手サポーターも脱帽した。その極めつけは2005-06シーズンの「クラシコ」だろう。本拠サンティアゴ・ベルナベウで0−3の惨敗を喫したにもかかわらず、マドリディスタはロナウジーニョをスタンディングオベーションで称えたのだ。
お互いを激しく意識し、時には憎しみが炎上する間柄とはいえ、美しいフットボールにはクラブ間の違いも国境も存在しない。ロナウジーニョの超絶技巧は、バルセロナを忌み嫌うレアル・マドリードですら虜(とりこ)にした。
「彼がボールに触れただけで、スタジアムは特別な雰囲気を醸し出す」
ライカールトの発言は決して大げさではない。ロナウジーニョの陽気なテクニックは在籍5年間でラ・リーガ2回、チャンピオンズリーグ1回、バルセロナに優勝タイトルをもたらしている。
彼自身も2004年から2年連続でFIFA最優秀選手、2005年はバロンドールにも輝いた。残念ながらナイトライフでも絶好調を持続した結果、2008年に不摂生を嫌うジョゼップ・グアルディオラ監督によってミラン移籍を余儀なくされたとはいえ、バルセロナを語るうえでロナウジーニョが必要不可欠であることに疑問の余地は一切ない。
ロナウド、リバウドとの「3R」、アドリアーノ、カカ、ロナウドとは「カルテットマジコ」など、ブラジル代表でも一世を風靡したロナウジーニョだが、ミランでは精彩を欠いた。右足の筋肉断裂は大きなダメージとなり、リハビリに努める時期に夜な夜なの乱痴気騒ぎが報道される。人気は失望に変わり、2011年冬にイタリア屈指の名門を退団した。
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