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【クラブワールドカップ】浦和レッズもビックリ! リーベルプレートは世界最大の観客動員を誇るクラブ (3ページ目)

  • 後藤健生●文 text by Goto Takeo

【1978年W杯の思い出】

 さて、リーベルは1923年に本拠地をボカから市内北部に移す。そして、1938年にはラプラタ川岸の湿地帯を埋め立ててエスタディオ・モヌメンタルが完成した。

 僕が初めてここを訪れたのは1978年のアルゼンチンW杯の時だった。地元アルゼンチン代表の選手入場時に観衆が一斉に投げる紙吹雪やレパートリー豊富な応援ソングには圧倒されたものだ。

 アルゼンチンとオランダとの決勝もモヌメンタルが舞台だった。1対1のまま延長戦に突入した試合はアルゼンチンが延長で2点を奪って優勝を決める。すると、興奮した観客が次々とピッチに下りて行った。

 当時のモヌメンタルには陸上競技のトラックが存在し、そのトラックの上に仮設スタンドが設けられていたので、今では考えられないが、そこを伝って簡単にピッチに降りることができたのだ。

 メインスタンドで観戦していた僕も、早速ピッチに下りてみた。そして、記念品として芝生をひとつかみちぎって持ち帰ったのだが、もちろんすぐに葉っぱは枯れてしまった。あとで「コーナーフラッグでも持って帰ればよかったな」と反省したものである。

この記事に関連する写真を見る1978年アルゼンチンW杯決勝のチケットと、決勝戦終了後にピッチに下りて喜びを爆発させるアルゼンチンの人々(画像は後藤氏提供)1978年アルゼンチンW杯決勝のチケットと、決勝戦終了後にピッチに下りて喜びを爆発させるアルゼンチンの人々(画像は後藤氏提供)この記事に関連する写真を見る その後も、アルゼンチンを訪れるたびにモヌメンタルには何度も通って、リーベルのリーグ戦やリベルタドーレス杯、あるいは代表のW杯予選などを観戦した。最後に訪れたのはもう14年も前のこと。2011年のコパ・アメリカ決勝だった。アルゼンチンもブラジルも準々決勝で敗退し、決勝でパラグアイを破ったウルグアイが優勝した。

 この時のモヌメンタルは、1978年当時とほとんど変わっていなかった。陸上トラックもそのままだったし、観客席の席種やトイレの位置を示すピクトグラム類もそのまま使われていた。

 20世紀末のアルゼンチンは軍事政権が引き起こしたフォークランド(マルビナス)戦争で英国に敗れたり、民主化後には放漫財政による経済危機に見舞われたりして、スタジアムの改修どころではなかったのだろう。

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