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【クラブワールドカップ】浦和レッズもビックリ! リーベルプレートは世界最大の観客動員を誇るクラブ (2ページ目)

  • 後藤健生●文 text by Goto Takeo

【リーベルプレートの成り立ち】

 リーベルの正式名称は「クラブ・アトレティコ・リーベルプレート」。スペルは「River Plate」。英語である。

 その「River」つまり「川」の部分をスペイン語読みにして「リーベル」(スペイン語には「v」と「b」の区別がないので「ヴェ」ではなく「ベ」)、「Plate」の部分は英語の発音のまま「プレート」と読む。つまり、英語とスペイン語の発音が混じった不思議なクラブ名なのだ(日本では「リバープレート」という表記も使われる)。

 クラブは1901年にブエノスアイレス南部のボカ地区で創設されたのだが、たまたまメンバーのひとりが港で木箱に書いてあった「The River Plate」の文字を見かけて、これをクラブ名にしたというのだ。

「River Plate」というのはブエノスアイレスを流れるラプラタ川の英語表記だ。対岸が見えないほどの川幅だが、その対岸はウルグアイである。

 スペイン人は16世紀にアンデス山脈にあったインカ帝国を征服し、そこで大量の金や銀を手に入れた。しかし、大陸の大西洋岸では貴金属や特産物は見つかられなかった。そして、沿岸を南下していくと大きな入り江を発見。太平洋とつながる水路かと思われたが、実はこれは大河の河口だった。そして、スペイン人たちは上流で銀が産出されるに違いないと思って「リオ・デ・ラ・プラタ」(ラプラタ川)と名づけた。スペイン語で「銀の川」である(上流は「パラナ川」と呼ぶ)。

 しかし、実際には銀は見つからず、ラプラタ川沿岸の開発も進まなかった。

 アルゼンチンは19世紀初めにスペインから独立したが、19世紀後半には経済的に英国に支配されるようになり、大勢の英国人が住んでいた。そのため、南米大陸ではいち早くフットボールが盛んになる。

 輸出する小麦をラプラタ川沿いの港まで運ぶ鉄道に勤める技師や労働者も、フットボール・クラブを作った。ブエノスアイレスには今でも「フェロカリル・オエステ」(西鉄道)というクラブがあるし、リオネル・メッシの故郷であるロサリオには「ロサリオ・セントラル」があるが、これは「中央鉄道」のクラブだった。

 ちなみに、ロサリオにはスコットランド人労働者が多かったので、ブエノスアイレスではロングボール主体のイングランド流がまだ盛んだった頃から、ショートパスをつなぐ"美しい"フットボールを行なっていたというのが、今でもロサリオの人たちの自慢になっている。

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