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史上最高のサッカー選手は誰か ベテラン記者が振り返る「神の子」マラドーナの凄さ (3ページ目)

  • 後藤健生●文 text by Goto Takeo

【W杯優勝、涙の準優勝、薬物疑惑】

 その後のマラドーナのことは、世界中の誰もが知っている。

 1982年のスペインW杯は失意の大会となったが、1986年メキシコW杯はカルロス・ビラルド監督の守備的なチームのなかで攻撃の全権を任されて、「神の手」ゴールや「5人抜き」など歴史に残るプレーを披露し、アルゼンチンを2度目の優勝に導く。そして、4年後のイタリアW杯では満身創痍の状態ながら再び母国を決勝まで導いたものの、ローマ・オリンピコでの決勝戦では西ドイツに4年前のリベンジを許し、マラドーナは激しいブーイングを浴びながら表彰式で涙に暮れた。

 マラドーナは代表から引退したが、4年後のW杯南米予選でアルゼンチン代表が敗退の危機に見舞われると、急遽、代表に復帰する。

 アルゼンチンは大陸間プレーオフに周り、オーストラリアとホーム&アウェーで戦うことになった。

 第1戦はアジア最終予選最終日、つまり日本にとっての「ドーハの悲劇」の3日後にオーストラリアのシドニーで行なわれた。僕はドーハからマレーシア経由でシドニーに向かって、そこでマラドーナがプレーする姿を見た。

 アルゼンチンは1対1の引き分けでアウェーゲームを乗りきり、1週間後にブエノスアイレスで行なわれたセカンドレグに勝利して本大会進出を決めた。ただし、アレックス・トビンのオウンゴールによる「薄氷の勝利」だった。

 そして、1994年のアメリカW杯ではナイジェリア戦後のドーピング検査でマラドーナから薬物が検出され、マラドーナはチームを離れ、アルゼンチンはラウンド16で敗退してしまう。

 この時の薬物疑惑だけではない。マラドーナは、隠し子騒動や発砲事件などで世間を騒がせ続けた。

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