サッカーワールドカップで東西ドイツが唯一の対戦 51年前に現地観戦の記者の回想 (4ページ目)
【統一後東側のクラブは苦闘も好選手を輩出】
1989年には東欧で民主化が進み、「ベルリンの壁」も崩壊。翌1990年に東ドイツの諸州が西ドイツに加盟する形でドイツは再統一。サッカー協会も統一され、東ドイツのオーバーリーガのクラブもブンデスリーガに加盟した。
しかし、財政的に苦しい東側のクラブは苦闘を続け、現在旧東ドイツ側でブンデスリーガ(1部)に所属しているのは、2009年にレッドブル傘下で新たに創設されたRBライプツィヒと2019年に昇格したウニオン・ベルリンだけだ。
それでも、東ドイツには優れた選手も多く、マティアス・ザマーは1996年の欧州選手権でドイツの優勝に貢献。ミヒャエル・バラックは後にドイツ代表主将も務めた。
さて、東ドイツに敗れた西ドイツ代表はボーナス問題などでも揉めていたが、東ドイツ戦後、ベッケンバウアー主将が全権を掌握して戦い方を変え、結局、この大会で開催国優勝を果たすことになる。
もし、西ドイツがグループ1位になっていたら、オランダ国境に近いゲルゼンキルヘンでヨハン・クライフのオランダと対戦していたはずで、そうなったらオランダ有利だっただろうと言われている。だが、西ドイツは東ドイツに負けて2位通過となったことで2次リーグでのオランダ戦を回避。オランダとは決勝で対戦することになった。
それゆえ、「東ドイツが優勝に貢献した」とも言われる。
決勝の会場はバイエルン州のミュンヘンであり、西ドイツ代表にはGKのゼップ・マイヤーや点取り屋のゲルト・ミュラーなどバイエルンの選手が多かったので、まさにホームでオランダと戦えたのだ。
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著者プロフィール
後藤健生 (ごとう・たけお)
1952年、東京都生まれ。慶應義塾大学大学院博士課程修了(国際政治)。1964年の東京五輪以来、サッカー観戦を続け、1974年西ドイツW杯以来ワールドカップはすべて現地観戦。カタール大会では29試合を観戦した。2025年、生涯観戦試合数は7500試合を超えた。主な著書に『日本サッカー史――日本代表の90年』(2007年、双葉社)、『国立競技場の100年――明治神宮外苑から見る日本の近代スポーツ』(2013年、ミネルヴァ書房)、『森保ジャパン 世界で勝つための条件―日本代表監督論』(2019年、NHK出版新書)など。
【画像】デザインが機能的 1974年西ドイツW杯のチケット
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